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季節の境でまた会えたなら

第6章

新しい年が来た。この春からは大学のキャンパスが家からかなり遠くなるので、彬人は都心で一人暮らしを始める。そうしたら東京西部で時間を過ごすこともしばらく無くなってしまうだろう。同じ東京でも西と東では気温も天候も違った。風景も物価も習慣も違う。すぐ慣れるかなと、初めて家を出る期待と不安が少しずつ膨らんできていた。

今吉とはあれからすぐ別れてしまった。
自分のしたことを思えば仕方ないと彬人も思う。だが彼女には自分の気持ちをできるだけ正確に伝えようとした。エーコさんに対するものは恋愛感情とはちょっと違って、お互い恋人とかそういった関係になるつもりも無かったんだと言った。ただ、何だかよくわからないが男女に関係なく強く惹かれるものがあり、そういった意味で、決して切り捨てられない特別な存在だったのだと。彼女に出会えたことだけに意味が有って、それ以上二人でいて人生を共にするつもりは全く無いのだと。
すると今吉は、こう言った。
「やっぱりそれって、アキトはその人を愛してるって言ってるように聞こえる。」

彼女と別れてしまったことは予想以上に彬人に強いダメージを与えたが、それでも、もう一度あの日に戻ってやり直せるのだとしても、やはり彬人は今吉を捨ててエーコさんのもとへ走って行ってしまっただろう。言われてみると、それも一つの愛だったのだろうか?自分が思っている区別は無意味なのだろうか。今吉と共に人生を切り開いていきたい気持ちと、エーコさんを放っておけないのは全く別の次元の話だと思っていたのだけれど。
今吉は別の男と付き合い出したらしいと、大学の友達が教えてくれた。それもかなりつらかったが仕方がなかった。彬人に対する周りの評価が落ちたことも仕方が無いと思う。数名の、今吉と共通の友人とは大分疎遠になってしまった。しかもどうやらそのうちの一人が今吉の新しい彼氏だと勘付いて、しばらく立ち直れなかった。いや、まだ立ち直りきっていないかもしれない。二人で過ごした日々を思い出しては、失ってしまったことがつらくて落ち込んでしまう。二人の女性に対して自分が抱いていた思いが一体何だったのか、自分でわからずにいる。ただ、自分で自分を正当化してはいけないのだと思い続ける。

或る日、今吉と別れてからほとんど使うことの無かった携帯に、メールが届いた。登録していないアドレスだったので一瞬誰だかわからなかった。タイトルが「神崎です」となっていて、しばらくどの神崎か考えた。そうだ、多分あの神崎さんの、会社のメールだ。そう考えるとどきりとした。めまいがしそうだった。

「アキヒト君、久しぶり。神崎です。世話になったね。以前エイコからアドレス聞いてました。アドレスからするとアキト君かな?気付かないなんて彼女も迂闊だね。彼女が、連絡するのは悪いと言うんで、内緒でmailします。僕は君に伝えた方がいいと思うので。直接話したいから、近々会えませんか。エイコと3人で。よかったら連絡下さい。会うまでエイには秘密ね。携帯番号090-××××-・・・・神崎
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+++++++
N電子株式会社営業部
神崎宏紀・・・」

最後に会ってまだ4ヶ月ほどしか経っていないのに、とても懐かしく思えた。何年も会っていないように感じた。エーコさんと初めて会話をした時のことや、蓼川の喫茶店で会ったこと、神崎との会話、いろんなことを思い出した。全てが強い陽射しに照らされているような、明るい世界がそこに有ったような気がした。今は何もかもが変わってしまった。エーコさんはどうしているんだろう。あれからすぐ退院できたんだろうか。死ぬ病気ではなかったはず、だよな・・・。

彬人は、彼女の病気については何もちゃんと聞いていなかった。考えているうちにやや不安になって、すぐに会いたくなった。伝えた方がいいって、何だろう。病気のことなのか、それ以外のことなのか。不安と、それから期待とが交じり合った感情が湧き起こった。今吉への誠意の為に、エーコさんにはもう二度と会えないと思ったし、離婚したとはいえもしまだあの二人が何らかの形で関わっているのだとしたら、神崎の手前、やはりもう会えないと思っていた。でも、このような形ならもしかして、許されるのかもしれない。会ってどうするというのでもないけれど、彼女の元気な姿を一目でも見たら、何らかの気持ちの整理はつくのではないかと思った。

しばらく躊躇しながらも、今日にでも会いたい旨メールで返信すると、1時間ほどしてまた返事が返って来た。エーコさんと連絡がとれたから、今日の夜7時、以前会った蓼川南口の喫茶店で待っているとのこと。胸が高鳴った。

学校が終わると彬人は、早いとわかっていてもすぐに電車に飛び乗り、蓼川へ直行した。着いた時間は本当に早過ぎて、あと2時間以上もどこかで待っていなければならなかった。しかも、エーコさんに見つかったらまずい。他に居場所が無かったので、思い付いてあの喫茶店の向かいに有るネットカフェで時間をつぶした。ここは時間単位以外に年会費いくらか払う会員制なので、一度しか利用しないのも損だ。とりあえずインターネットができる席に入り、あても無くネットサーフィンすることにした。静かな店内で自分のマウスやキーのかたかた言う音がやや気に障った。気の利いたことに、席ごとにヘッドホンで有線が聞けるようになっていたので、試しにいろいろ聴いてみることにする。画面を見ながらなんとなく耳を傾けていると、ふと、いままでと曲調の違った音楽が鳴り出した。どこかで聴いたことの有るようなメロディーだが、よく知らない。古い歌のようだ。女性歌手の声がしっとりと悲しげで、きらきらとわずかに震える。それがなんだか心地よかった。歌詞はこんな風だった。


  「あまり意識したことないけど
   君の存在は大きかったみたい。
   何年経って幾度もの出会いと
   別れの中にあっても君はいた
   ここに、私の中に。
   愛しきれなかった、けれど、
   忘れ去れなかった、だけど

   君がついに私の中から消える
   時がきたのよ
   だからさよなら」

デスクトップを見つめながら、彬人はぼんやりと聴いている。何だかわからないが鳥肌が立った。


   「子供だったね君とわたし。
   お互いを求め、求め合い、
   惹かれあったのは、ただ愛されたがっていた
   君がついに私の中から消える・・・
   ・・・・・・
   シアワセでいてね。
   シアワセでいるわ。
   シアワセでいてね。」



悲しいリフレインが続いた。彬人は、しんみりしてしまったことにちょっと自嘲する。だから、さよなら、か。

何もかも失ってしまったような気もするけれど、何も失っていないような気もした。彼女が幸せでいてくれれば、そして今吉が新しい男といて幸せでいてくれれば、問題など何もないに違いない。例え彬人の存在が彼らの中で消えてしまったとしても。彬人もまた新しく誰かと出会って、恋をして、幸せになる。そんな資格が自分にあるのであれば・・・。いつかはわからないことだけれど・・・。
寂しくてたまらなくなった。その寂しさが、永遠に続くのではないかと思った。

ビルを出てくると7時ちょうどで、喫茶店は目の前だった。きれいにライトアップされたメニューのショーケース、ガラス張りの店の中は一人で新聞を読むサラリーマンやおしゃべりする女性達が不思議な雰囲気を作り出していた。入ってしばらく中の様子を伺っていると、いつも彼が利用する禁煙席の奥の方で、神崎が手を振った。つられて、その向かいでこちらに背を向けていた女性が振り向く。エーコさんだ。
彼女はしばらくぼんやりしていたが、近づいてくる彬人を見つけると、目を見張った。
「アキヒト君。」
彼女の顔は少しやせて、印象が以前とかなり違う気がした。それが何を意味するのか、深く考えるのはやめにした。単にもう厚化粧をしていないからかもしれなかった。しかしそんな彼女は年相応に、いや、それ以上に若々しく、まるでお下げの似合う女学生みたいにかわいい。
「ひろ、どういうこと!」
神崎に向かって、エーコさんは怒ったように言った。神崎は笑ってかわし、彬人に席を勧める。彬人はややほっとした。やっぱりエーコさんだ。いきいきとした目の輝きは何も変わっていない。
「エイコちゃんだって会いたかっただろう?」
神崎はにまにま笑っている。エーコさんはちょっと伺うように彬人をのぞき込んだが、彼が頑張って笑いかけるとほっとしたように笑い、久しぶり、とつぶやいた。
「元気ですか?」
ちょっと緊張して聞くと、そんな彼の不安など吹き飛ばすように彼女は言った。
「元気よ、とっても。それより、アキヒトくん・・・きみの方が元気無いみたい。」
彬人は慌てて、懸命に首を横に振る。
「そんなことないです!」
神崎もにこにこしているし、エーコさんもとっても元気そうだし、すべてまるで取越し苦労じゃないか。緊張が緩んでいく。幸せな夢でも見ているんだろうか?暖かい店内、静かなBGM、幸せそうな人々。
「実はね」
神崎が、テーブルの上に置いていたエーコさんの片手に手を乗せながら言う。
「よく話し合って、エイコの両親にもやっと許してもらって、僕たち、また籍を入れることにしたんだ。」
エーコさんは頷いて、恥ずかしそうに笑う。彬人の様子を伺っているようでもあった。
ああ、そうか。まあ、そんなところだろう。彬人は笑って、おめでとう、と心から言った。いろいろ祝いの言葉を言おうとしたのだけれど、胸がつまってしまい、また自分の気持ちを伝えるにはこれで充分のような気もして、それ以上何も言えなかった。エーコさんは本当に嬉しそうにありがとうと言う。
「式はもう挙げないけど、2月から一緒に住むわ。今度は私たち、子供作りたいと思うの。」
エーコさんは神崎の手の上にもう片方の手を乗せた。くすり指に銀の指輪が光っていた。二人は彬人を置いていってしまうのだろうか?
そう思ったがすぐそれも消えてしまった。そうじゃないから彬人を呼んだんだ。エーコさんも、彼女を愛した神崎も、決して彬人を忘れたりなどしない。
「いつか家に遊びに来てね。きっとよ。」

すぐ喫茶店を出ると、3人で映画館の入ったビルのイタリアレストランへ行き、神崎のおごりだがお祝いした。エーコさんはたくさんワインを飲んで、彬人をはらはらさせたが、神崎はしょうがないなという顔で笑っている。二人が出会った時の話、エーコさんはその時学生で、周囲に大反対され駆け落ち同然で結婚したこと、誤解や嫉妬で破綻してしまったこと、といった驚くばかりにドラマチックな話を聞かされ、また、彬人とエーコさんの関係もやっと詳しく神崎に話した。神崎は急に彬人の方に向き直る。
「内心嫉妬してたよ、君が新しい恋人なのかなって・・・。エイコちゃんとやり直したいと思ってアタックしてみたら、君が側にいたからさ・・・。エイも君の話ばかりするし。僕は君たちよりずっと年上だし。」
「違うって何度も言ったじゃない。」
エーコさんは焦ったように彬人の様子を窺う。
「でも、アキヒト君が好きなんだろ?」
「・・・そうよ。・・・それは本当。」
一瞬彬人も気が動転しそうになったが、用心深く彬人を見詰める彼女の目を見て、なんとなく胸がじんとした。
そうか。そうだったんだ。それでいいんだ。彼女も、自分も。それ以上でもそれ以下でもなく、歪めたり美化したり理屈をつけたりする必要も無く、それでいいんだ。
多分、この時彼女も、お互いの気持ちがぴったりと通じた事を感じたと思う。
今吉の最後の言葉が思い出された。

アキヒトくんありがとうと彼女がくりかえす。何度もくりかえす。あなたに会えてほんとによかった、どうやってお礼したらいいのかわからないわ、と・・・。

店を出ると、外はかなり寒かった。エーコさんは酔っ払ってるから幸町の神崎の家に泊っていくことになったが、彬人を駅まで送ると言うので、3人で駅前コンコースへ通じるデッキを歩いた。駅周辺の灯りがビルに反射してかなり明るい地上のその空は、逆に真っ暗に感じられ、星も見えない。エーコさんが見上げるので彬人もつられて見上げる。3人の吐く息が白く立ちのぼる。
「ね、手をつなごう。」
エーコさんが言い出す。
「アキヒトくんもよ。」
え?と言う暇もなくエーコさんが左手で彬人の手をつかんだ。びっくりして固まっていると、彼女は反対の手で神崎の手をつかもうとしている。
「この3人何なんだって、不審に思われるぞ。」
神崎はエーコさんの鞄を持ってやりながら、そっと手をつなぎ、それでも優しい目で無邪気な彼女を見ていた。確かに、周りからは不審に思われたかもしれない。だがこの時、周りは何も見えなかった。そんなことはどうだってよかった。こうして今3人でいることが、奇蹟のように眩しくなってくる。酔いが回ってゆきそうだ。
「私たち、3人ずっと一緒よね。」
エーコさんがそう言うと、神崎が、やれやれとでも言いたそうな目で彼女を見たが、彼女の頭越しに戸惑っている彬人と目が合うと、笑う。
「アキヒトくんさえよければね。」
エーコさんは彬人の方を向く。慌てて彬人も、
「それは、神崎さんがよければ・・・。」
そう言ってみると、何だかわからないが喉の奥から笑いがこみあげた。
初めて触れるエーコさんの細い指は、しっとりとして、あたたかかった。彬人の心にじんと染みてくるしっとりとしたあたたかさだった。

それからしばらく経つが、彬人は彼らと連絡をとっていない。あの時二人はエーコさんの病気のことは何も言ってなかったけど、もう聞かなくてもいいことのような気もした。二人元気でやっているのだと信じているし、また1年後でも10年後でも、彼らは会えば同じようにアキヒトくんアキヒトくん言って慕ってくれるだろうことも確かに思えた。実際には二度と会わなかったとしても、信じ続けることはできると思う。
もしかしたら、全てが彬人のひとりよがりなのかもしれない。でも今はそれでもよかった。
一人でいるといまだにつらい時も有るし、また今後の人生の中でもいろいろ有ると思うけれど、多分エーコさんの笑顔やあたたかい指の感触はずっと忘れないだろう。神崎のエーコさんを見る優しい目、そしてそれでもしっかりと彬人を見詰めてくれた彼の目を忘れないだろう。そして彼らと過ごしたひとつひとつの時間は、永遠に心のどこかに留まって、彼を幸せに導いてくれるだろう。
さよならなんて無いのだ。
彬人は、そんな気がしてならなかった。



-The End-
written by Nanori Hikitshu 2003.2



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