ラウンドの女王編p44



「次あたしだから見ててね」
 カナリアがえりこと歌子姫にブイサインを送りながら円の中へ出て行った。カナリアの曲は「ティコ・ティコ」。ダンスミュージックとして有名な曲だが、フォークダンスでも割合古い歴史の有る振り付けの、よく知られたダンスだと思う。彼女はさっと黒いマントを脱ぐ。手を広げて男女で横に並ぶ事が多いのでそれを意識したのか、カナリアの手作り衣装は袖にフリンジをひらひら垂らした、それでいて古臭くないように星や月の飾りを沢山あしらった、ミニスカートのワンピースだった。クリスマスを意識したのかワンピースは赤く、タイツは白い。これは可愛い。こんなもの自分で作ったのかとえりこは感心した。見ているとこの踊りは意外に女子が回転するので衣装を工夫するのはいい目の付けどころだと思う。フィギュアスケートなんかでもそうかもしれないが、回転系の場合普通スカートの軌跡で動きを表現する事が多い。しかしカナリアは、それほど目まぐるしくぐるぐる回る踊りじゃないからかスカートはシンプルな広がらない形にし、その分袖にスターのように垂れた長いフリンジが、遊園地の回転ブランコのように上がり下がりしてとっても綺麗な動きを見せ人目を引いた。これは腕の位置を相当意識していないと、フリンジの動きが乱れるよ。えりこはじっと見つめながら、カナリアが美しく回転するのを楽しみに待つようになっていた。そして男女の押したり引いたりの掛け合いが見ていて本当に面白い。なんだ、力関係を心配したが神田学院の知滝くんととっても楽しそうに踊ってるじゃないか。二人は適当に小股でトコトコやっているようでいてかなりはっきりとリズムを刻んでいる。1,2,3ト4、トントントトト……。すごいな。楽しい。えりこはだんだんカナリアのことが好きになってきてしまった。ちょっと面倒な人っぽいけれどもそれはそれとして……。
 オーソドックスに一曲踊り終えて、拍手の中両手を上げてカナリアは会場に手を振った。確かにじっと見ているとラウンドはとても面白い。組によってすごく個性を感じるし、同じ曲を踊る組があっても飽きる事は無かった。

 数組の出番の後、ここで後に「ラブチャ事件」と言われるできごとが起きる。埼玉国際大のターキーが、パートナーのみづえ先輩と「ラブソング・チャチャ」(曲はMaureen McGovernの“Love Songs Are Getting Harder To Sing”1975年、邦題「涙のラブソング」)を踊っている最中のこと。後半のInterlude2、しばらく曲が途切れる箇所が有る。ここで男子は左足を後ろにステップ、右ひざを曲げ腰をひねるように落として女子の体を抱き抱える。女子は右足一本で立って左足を高く上げ、男子につかまったまま思い切って上体をそっくり返らせるポーズを取る(危険・男子は絶対に女子を落っことすべからず)、というのがあるのだが、古い踊り方資料を発掘したところ1997年N大&S大の女性用資料では「おもむろにkissされるふり」、男性用資料では「相手の同意があればkissしてもよい(らしい)」とある。まあ男女の見解に違いは有るが、そういう感じの踊り、と捉えている人はいる。しかしここで本当にキスしてしまう人はまずいない。が、やってしまったのだ。若き1男ターキーが、3年のみづえ先輩の頬に、一瞬。見ている方は多少距離も有るので、え? え? という感じで何が起こったのかわからないまま、見間違いでスルーすることも可能だったが、大人しそうなみづえ様が野太い声でおらてめーなにしやがると怒鳴り、むしろそのショックで一瞬会場がしんとなる。踊りが中断するかと思いきや、曲が再開すると共に二人はリズムに乗って跳ね出し、何事も無かったかのように最後まで踊った。トーポイント、オープンフェイシングポジションで微笑むみづえ様と、変に無表情のターキー。会場は笑ってつっこみを入れるべきなのかすらわからず異様な空気になった。後世の評価はわからない。感想は人それぞれに委ねられた。えりこもどうしたらいいかとちらちら隣の人や歌子姫の反応を窺ってしまったが、皆同じような心境だったろう。ともかくまあ、衝撃的ではあったがそうやってあの一瞬は既に過ぎていて、単純に踊りは楽しかったので拍手して終わった。

 13番目が花音だった。えりこの一組前だ。二人で並んでしまうなんて偶然とはいえちょっとやりづらいが、くじ引きだから仕方がない。えりこはあまり気にしないことにした。あまりにいろんな爆弾を投げつけられて、彼女を苦手に思う感覚も薄れてきたのかもしれない。
 出て来た花音は綺麗なお人形のような格好で、皆が思わずわっと声を上げたのに、本人は不機嫌だ。柳沢が結局花音の作った服を着てくれずにTシャツで登場したからに違いない。確かにアンバランスな気はしたが、まあ民舞なのでそういうのをそれ程気にする観客はいない。
 音楽が始まった。えりこの聞き慣れない音源の「テネシーワルツ」だ。柳沢は衣装方面では非協力的とはいえ頑張っていて、案外親切そうな顔して丁寧に踊っていた。花音は上手にトゥインクルを繰り返している。お互い相手の手の下をくぐって、ボックスを描く。そういや花音はこの菱形のボックスを細い両足でふんわりと、とても綺麗に描くんで、えりこは感心したことがある。花音の背中にワイヤーの羽根が有るんで柳沢はちょっとクローズドポジションが組みづらそうだが、彼はなんとか花音をリードしているし、アップダウン、メリハリのやや足りないトコトコ単調歩きにも見えてしまうけれど、ゆったりした音楽に乗せて二人で息を合わせている。1年生なのにこんな大会に出て、すごいな、とえりこは素直に思った。きっと一生の思い出になる。いや、このテネシーワルツを忘れてしまっても、ふと街中でこのBGMを耳にした時なんかに、ああそういえば……と思い出す事も有るかもしれない。歳を取ってからもきっと。まあそれだけのことだけどね。フォークダンスが人生の中で何かの役に立つとは言えない。だけど花音ちゃん、やめるなんて言わないで欲しいな。えりこのこと嫌いなのかもしれないけど。だってこんなに楽しいのに。そんな気分になってえりこは、打たれ弱い自分が何考えてるんだろうとおかしくなった。
「うちの曲と違うよ?!」
 大野の1年生の子達がパティ・ペイジの歌入りテネシーワルツに驚いて、編曲の関係上フィギュアと曲が合わないことにも目を丸くしていた。一番驚いていたのがお京ちゃん。そらそうだな。えりこの対抗馬のつもりで出した子が、えりこの好きそうな他大チックな音源で、うちと違う踊りをしてるんだもの。植津派の京の立場が無い。花音はえりこが着て皆を驚かせたことのある妖精コスチュームを真似て、そういえばえりこが褒めたことのあるテネシーワルツを踊ってて、えりこを見てあんな風に踊りたいって言った事もあって、ラウンド大会まで出て来て、えりこと賭けまでするという。……あれ。何なんだろう。本当に花音ちゃんえりこのこと嫌いなの? えりこはだんだんわからなくなってきた。
 サークルの中にいると、誰でも個人的には人に対していろんな思いが有る。当然だ。でも踊ってる時は純粋に踊りが好きだって思って、同じ物を好きだってことだけで仲間でいられて、それがえりこにとってどれだけ価値のあることなのか知れない。花音ちゃんと柳沢くん、民舞のこと好きになって欲しいな。えりこはそう願った。


「次は大野女子2年えりこさんと、福徳大2年富田さんによる“スノーバード”です」
 アナウンスが告げる。いよいよえりこと富田くんの番だった。
 歌子姫とカナリアに手を振り、吉乃さんの方を見る。いかん。また緊張してきた。吉乃さんがえりこの不安に気付いたのか心配そうな顔をして、でもそれは余計にえりこを緊張させると気付いて笑いかけてくれた。ああ、この数カ月の騒動がこれで終わるんだ。えりこは円の中に出て行ったが、ふと立ち止まって動けなくなった。
「えりこちゃん、どうかした?」
 もうスタート位置についている富田くんがえりこに声をかけた。もう経るべき何の手順も残されておらずこのまんま音楽が始まっちゃうんだよな。や、やばい。頭が真っ白だ。どうしよう! 1年の花音ちゃんだって最後まで頑張ったのに。軽いパニックに陥った。駄目だ。フロアでは誰にも頼れない。歌子姫もカナリアも一人で立ち向かったのに。それがこんな怖いことだなんて。
 えりこの様子がおかしいと会場の皆も気付いただろうか。な、泣きそうだ。どうしよう。青い顔でぼんやり立っていると、富田くんが何故か体育館の天井を指さしている。
 ん? 何だ? えりこが見上げると、会場の皆もつられて天井を見上げた。何か有るかな? 高い所に照明が有るが昼間なので点いていない。何も無いよ? それでも富田くんは天井の何かを一生懸命指さし、その手の位置はわずかに移動している。えりこはやっと気付いた。スノーバードだ! スノーバードというのは日本名でユキヒメドリ(雪姫鳥)と言い、スズメ目ホオジロ科。スズメくらいの大きさで、灰黒色。お腹と外側二対の尾羽が白い。ま、地味な小鳥だ。アラスカからペンシルバニア州辺りまでの針葉樹林で繁殖するけれど、冬にはメキシコ湾の方まで南下し、アメリカではいわゆる冬の渡り鳥として認識されている。えりこも学校の図書館に有った古いコンサイス鳥名事典でちらっと読んだくらいで詳しいことは知らないが、低い美しい声で鳴くんだそうだ。その小鳥が天井の照明をちょこまかちょこまか移動している姿が見えた気がした。
 えりこは急いで富田くんの所へ行って、手を取り合う。急に音楽が始まった。はっとしてえりこは富田くんを見る。彼は頷いて、カウントを数えている。1,2,3,4,5,6,7,8……開く! 閉じる! クローズドポジション! 全部富田くんがえりこの手を取る指先で合図を出す。1,2……えりこは滑るように踊りだしていた。
 足が軽い! 富田くんとはいつも外でスニーカーを履いて練習している事が多かったが、それに比べてダンスシューズはびっくりする程軽く、足に羽根が生えたようだ。アスファルトでない体育館のフローリングは楽にステップや方向転換をサポートした。そう、ラウンドは本来こうなのだ。足腰を鍛えたお陰で脚の運びもスムーズだ。あとは焦らず正確にリズムを刻めばよい。空を飛んでるみたい!
 それからはもう夢の中のようだった。ツーステップターン、ツーステップターン、1,2、トワール、ロックリカバー。全てが流れるように、一瞬も止まる事を知らず、風を切って進んで行く。えりこと富田くんが踊っているのか、踊りが二人の体を通り抜けて行くのか、そんなよくわからない変な気分になる。そうか、一人じゃないんだ。自然にえりこは笑った。あ、鳴いてる! 可愛い小鳥が羽を広げて、飛び立っては止まり、周囲をうろうろしてる。その鳥が行く軌道なんて富田くんと打ち合わせなんかしているはずもないのに、二人は何故か同じ方向を見ていた。あっちで鳴いてると思ったら富田くんもあっちを見ている。こっちかなと思うと富田くんもこっちを見ている。しっかりクローズドポジションを組み直してさあピボットターン! 回転! すかさずツーステップターン2回!

「私が若かった時
心もとても未熟で
告げられた事何でも
私にもできると思っていた。
だけど今私の心は空ろ。
人生で望んできたことは
大抵私には実らなかった」

 あれ何か今日は富田くん、えりこを思い切って放り投げ、そしてしっかりキャッチしてる。あー、ごめん。えりこが肝心な時頼りなくて。いやいやいや。こっちこそ。アイコンタクトと触れ合う手で二人は会話していた。大会で実際に口をきく余裕の有る程ゆったりした踊りじゃないのでそうするしかないのだが。うーん。こうしてみると、富田くんは割と好きかも知れない。変な意味じゃないけどね? うん、まあ言いたい事はわかるよ。カップルダンスだからね。えりこちゃんと組んでやっぱり良かったよ。楽しかった。うん、私も。ありがとう。

「川に沿って吹くそよ風は
まるでこう言っているよう
彼はまた私の心を踏みにじるだけだろうって。
私はここに残るべきかしら?
ちいさな雪姫鳥よ、
おまえがやさしいそよ風の国へ行ってしまう時
私を一緒に連れていっておくれ。
穏やかに水が流れている国へ」

 会場中の手拍子が聞こえている。えりこは気が付くとうきうきしていた。

「おまえのちいさな翼を広げて
飛んで行きなさい。
そして雪を取り戻して、帰って来て。
あの日の場所へ。
私が永遠に愛した人は不実だった。
そしてもしできたなら
おまえと共に飛んで行きたかった。

ええ、もしできたなら
私はおまえと共に飛んで行きたかった。」

 さあ最後だ。ピボットターン! ピボットターン! 2歩歩いて、更にピボットターン、ピボットターン、もっかい回っちゃう? さあ飛んでくのよ!
 二人は手を開いて最後のポーズを取り、スノーバードが窓から空へ向かって勢いよく飛んでいくのを見送った。多分、会場の皆も見た。と思う。二人は笑った。爽快だった。富田くんと離れて、えりこは声を出して笑った。笑った。興奮していた。ぜーぜー息をして、膝に手を置いた。終わりかあ。もっと踊ってたかったな。楽しかったな。そう思ったら涙が出て来た。
「えりこちゃん」
 富田くんがいつものようにうっすら微笑んでいる。
「また踊ろうよ」
「うん」
 二人は並んで皆の所へ帰った。素敵だった! と吉乃さんが予想外に感激した様子でえりこの肩に手をかけてくれた。目が少し潤んでいるようにも見え、えりこは驚いた。
「本当に、私も一緒に会場を飛び回ってるような感じがしたわー」
 葵さんがにっこり笑ってる。私も、私もと可愛い1年生達がえりこを取り囲んだ。


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written by Nanori Hikitsu 2014
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