ラウンドの女王編p40


花音がため息を吐くと、柳沢は吉乃さんに尋ねる。
「これで踊ってもいいんですか? ――テネシーワルツ」
「もちろん。これも正真正銘テネシーワルツよ。元歌の方が少しテンポがゆっくりでしょ」
「はい」
「ただ、歌がリズムを正確に刻んでいないの。ためが入ったりしてずれるでしょ」
「そこはどうしたらいいんですか」
「演奏を聞いて。曲自体のリズムは一定だから。伴奏に合わせてステップしつつ、歌の、メロディラインの情感を損なわないようにためを入れたらいいんじゃないかしら」
「難しそうですね」
「慣れれば大丈夫だと思うわ。でも私もこれで踊ったこと無いの。福徳大野では正式に取り入れられてない音源よ」
「そんな音源……指導部長が持って来るとは思いませんでした」
 柳沢がちょっと笑って言うと、吉乃さんも少し複雑そうな顔で笑った。だが何も言おうとしない。そうか、おおっぴらには言わないが、指導部長もこの音源に感動した事が有るのだ。そして密かに愛していたのだ。それなのに、指導部長だから、この曲が他大のパーティでかかっても立場上踊れなかったんだ。柳沢は一瞬のうちにそういったことを悟った。
「先輩ありがとうございます。花音ちゃん、これでやってみない?」
「え? うん……」
「この方がきっと面白いと思うな」
「他大では普通にこの曲使ってるところも有ると思うけどね」
「いいです。俺達がいいと思ったんならそれが一番でしょ」
「気に入ってくれてよかった」
 吉乃さんはにっこり笑って、
「じゃ頑張ってね。やり易い方でいいのよ。丁寧に踊ればきっと上手くいくわ」
それだけ言うと部屋を出て行こうとした。
「あれ、もう行っちゃうんですか」
「ええ、ちょっと寄っただけだから」
「ひょっとしてえりこさんの練習見にいらしたんですか?」
「うん? どうしてわかったの?」
「いえ何となく。多分府中の森公園で踊ってますよ。この寒い中、外で」
 吉乃さんは笑った。
「えりこちゃん大丈夫かなあ。彼女、寒がりなんだよ」
「へえ、そうなんですか」
 えりこの話が出て思わず花音も壁から離れ、うろうろと不審な動きをしてしまった。
「花音ちゃんもえりこちゃんと仲良いんだよね?」
吉乃さんが親切にも話を振ってくれた。
「え、ええ、まあ……」
花音は少し恥ずかしくなって俯く。顔が赤くなるのを感じる。今日たまたまえりことお揃いのスカートを穿いているのだが、そのことをこの二人が気付いた、と思うとますます頭に血が上って、もじもじと手を組んだりほどいたりする。そんな彼女の様子を微笑ましいものであるかのように勘違いして、先輩たちはにこにこしている。花音は柳沢を見る。京と取引してまでわざわざ彼と組ませてもらったけれど……そんな必要が本当に有ったのか。大会で勝って自分の有利なように事を運ぼうと思ったのに、何でえりこさんにまだ何もできていないのだ。何故彼女の事が気になってしまうのか。こんなはずじゃなかった……。柳沢くんとは必ずしも仲良く練習できていないし。ラウンド大会、もっと楽しいかと思ったのに。なんだかぎくしゃくして、彼を苛立たせることしかできなくて。花音は自分の置かれている現状に失望した。手の中にあった、ガラス細工のように綺麗だったものが、ふいにぼろぼろになって、紙屑のようにぐしゃぐしゃになって、ぶつぶつと千切れて落っこちて行くような、決して美しいイメージでない、子供じみた喪失感。こんなはずじゃなかった。こんなはずじゃ……。
 目の前でにこにこ話している柳沢くんと吉乃さんの姿が、急に色褪せて見え、そのことにふと罪悪感を覚えるくらいの理性だけはかろうじて花音には有った。

******************

 2女の間で話し合いを重ねた結果、例年の自分たちで話し合って決めて信任投票という形をやめ、指導部のみ通常の選挙で投票してもらうことになった。投票できるのは大野女子フォークダンス部員の1,2,3年生。福徳大生やOBOGは総会に参加できるが投票する事はできない。部長の黄葵さんの承認が正式に有ったのでそれで決まり、選挙当日まで誰が指導部長になるかわからない。いよいよ24日が迫って来て2年生は皆緊張している。当日の「正装でなくともできるだけいい服」指定を受けて1年生は何を着ようかうきうきしながら話し合っている。いや1女はわざわざ服を買わなくてもいい、って葵さんは言ってくれているのだけれど。
 えりこは入学式に来た寒々しい薄ピンクのワンピースを出してみたが、どう考えても冬のさなかに桜色のワンピースは無い。ちょっと地味だが母親のチェックのスーツを借りることにした。
 クリスマスか……そして、イブイブ、23日は全日本学生ラウンドダンス選手権大会。歌子姫は今年度で卒業してしまうので、この大会が終わればもう会うことも無いかもしれない。彼女に有ったらどうしよう。最後くらい、クリスマスプレゼントでも渡して、ありがとう、一緒に踊れて楽しかった、って言おうかな……クッキーとか焼いてみたり。そう思いつつ、今度会ったら歌子姫の方がぷいと顔を背けて話すらしてくれない可能性もある。そう思うとえりこはやりきれない気持ちになる。自分が手を振り払ったのではあるけれど。

 ラウンド大会を9日後に控えた土曜の午後。えりこはジャージの上下に母親のお下がりのダウンジャケットをもこもこ着こんで富田くんと府中の森公園にいた。正直寒い。冬なんだからあたりまえだ。でもかなりしっかり走り込みや準備運動をしているうちにダウンはいらなくなる。本当言うとそろそろダンスシューズで練習したいのだが、アスファルトの上でこのデリケートなダンスシューズを履くと擦り切れてしまうので必然的にスニーカーだ。室内で練習すればいいのだが1年生ペアに場所を譲り、彼らにプレッシャーをかけないよう別々に練習しようと富田くんが言うので、確かにそうだなあと思ってずーっとえりこは外で踊っていたのだ。
 しかし――運動で体が温まっている時以外の寒さときたら! えりこはホットカルピスを入れる保温水筒を奮発して買ったばかりだがコートと飲み物以外大した防寒対策を取っていない。ダウン着てクローズドポジションを組むのは結構もこもこする。もこもこするって当然だが、つまり相手の体に触れる手の感触が伝わってこないので動きが読みづらくなる。できないことはないがほんのわずかに動きが鈍ってしまう。仕方なくコートを脱いでジャージの上に富田くんに借りた民舞ロゴ入りウィンドブレーカー、略して「民ブレ」というこれも変な格好で踊っている。社交ダンス程激しい動きをし続けるわけじゃないからやっぱり寒い。駄目だ! 屋外は! でも今日はどこも場所取ってないよ! 氷点下まで頑張れ! と優しい顔してムゴい富田くんに励まされ、えりこはツーステップターン1回転からウォーキング、トワール、ロックリカバーという動きをこなす。
 ロックリカバーはここではLODに踏み込み(ロック)、反対足に体重を戻す(リカバー)動きだ。ターンしながらLODに進み、更にウォーキング2歩、トワールで進んだ流れを、踏み込んでぐっと止めて、反対足でALOD(進行方向逆)に引き返す。身体のバネを使ってカップル全体の動きを綺麗に、水の逆流のように飛沫を上げるのではなく逆流すら決まったルートを自然に引き返すように流す。それも軽快に。そういう全体像をえりこは思い描いた。富田くんとの息が合ってきたのか、二歩で1回転するトワールの軸もぶれないようになり、繋ぐ手の上げ下げもスムーズになった。スムーズにはなったが……今度は下手に妥協点を見つけてしまったかのようなつまらなさを感じる。贅沢というものだろうか。指導部からは及第点を貰えると思うけれども。
「ここで終わらせたくないよねえ」
「えりこちゃん、芸術点まで狙ってるね」
「うん……まあねえ。でもどうしたらいいのか全然わかんないや」
「やっぱり演技も必要なのかもね。スノーバードは失恋の歌だよ。歌詞を忠実に再現するのはちょっと無理だけど……この女の人が失った恋を小鳥に託して解き放つような、そういう雰囲気をさ、演技で」
富田くんはいろいろ考えていたようで考え込んでいる。えりこは民ブレの上にダウンジャケットを着込んでベンチに座った。木のベンチは少し湿った感じがする。
「演技って、何かするの?」
「いや別に何も。そういう表情をする、とかさあ」
「じゃ、小鳥が遠くへ飛んで行くのを二人で目で追うみたいな」
「いいねそれ」
「すんごく軽快で楽しい曲と踊りだからさあ、いかにも失恋とか悲しそうとか、そういう風にはやりたくなくない?」
「うん、僕もそれがいいと思う。最後は見つめ合って笑ってたいよね」
「うん、自然に笑っちゃうもんね」

 ふと富田くんがえりこの背後に目をやった。
「あれ」
「ん?」
 えりこが振り向くと、緩やかな坂の向こうから若々しい黒のPコートを着た女の子が近付いて来る。あれあれ? 花音じゃないか。
「花音ちゃん、どうしたの?」
「えりこさん……」
「よくここわかったね?」
「柳沢くんが前に、えりこさんここで練習してるって……」
「でも公園広いのに……」
 変な方角から来たということは、花音は公園をぐるっと回って二人を探したんだろう。彼女は温かそうなモコモコのスカートを穿いていたが、そこから伸びる脚はストッキングに踵の低いパンプスで、少し寒そうに見えた。
「あの、これ。急いで編んだから、簡単なので申し訳ないんですけど。よかったら」
花音はトートバッグからいきなりむき出しの白いマフラーを取り出した。
「え?」
それがえりこに向かって差し出されているのでえりこはびっくりして、何と言っていいかわからなかった。ミルキーホワイトのウールの毛糸はゴム編みにされ両端に長いフリンジがゆらゆらしている。えりこは戸惑いながら、
「これ、私が貰っていいの?」
「ご迷惑でなかったら」
「あ、ありがとう……! 迷惑だなんて。嬉しいよ」
言ってからどきどきしだした。お、女の子に手編みのマフラー貰うなんて?! 彼女が好意を持ってくれているなんて知らなかった。よくわからないがいくら手芸好きの花音だって嫌いな人の為に時間をかけて編み物するなんてことはないだろう。いや、大野の人全員に配って回ってるとか? 受け取ってどぎまぎしていると花音がじっと見ているので、慌ててマフラーを首に巻いてみた。
 ジャージの上下にウィンドブレーカー着てちょっとくたっと来てるダウンジャケット羽織って手編みのマフラーって……自分の姿を想像してちょっと間抜けな感じもしたが花音は笑いもせずに見ている。首と頬が温かい。そのぬくもりにじんときた。
「ありがとう花音ちゃん。私寒いの苦手で」
「そう聞いたから私」
「温かいし全然ちくちくしないねこれ。優しい色で、好きだな。時間かかったんじゃないの?」
「私そんなに棒針得意じゃないから……二日もかかっちゃって」
「すごいね。二日っていうのは速いんじゃないの? 私の為に貴重な時間割いてくれたのもありがたいよ」
その時ふいに花音がぽろぽろと涙をこぼした。えっどうしたの? とえりこが覗き込むと、
 ごめんなさいえりこさん、私えりこさんがこんなに優しい人だって知らなくて、尚美とか決まった子としか仲良くしないから他の子達のことはどうでもいいんだと思ってて、京の口車に乗ってえりこさんを陥れる手伝いなんかしちゃって……
「ちょ……陥れるって」
言いながら気付いて仰天した。
 まさか。まさかだよ。合宿の時遊行さんとえりこのスキャンダルをでっちあげたのはこの子?! 変な噂流して……いやまさか。
「1女でお風呂入ってたら美里が遊行さんの事好きだって言って泣き出して、京があたしをせっつくものだからつい……遊行さんは吉乃さんと付き合ってるけどえりこさんと仲良くて浮気してるって、だから美里も頑張れば希望あるかもよって」
「何でそんな嘘言ったの?! 遊行さんが浮気したなんて噂流したら、遊行さんだって吉乃さんだって迷惑するんだよ?!」
思わず強い口調で咎めてしまって、花音はわっと泣き出す。えりこは頭に血がのぼった。ああもう、ああもう。
「私が嫌いなら嫌いでいいよ。でも私の大切な人達を巻き込まないでよ」
「えりこちゃん落ち着いて」
富田くんがえりこの肩に手をかけてくるがこれが落ち着いていられようか。涙が出て来た。いい子だと思って、仲良くなれたと思って、嬉しかったのに。京があの嘘を言ったんだろうと思ってた。京でなくとも1女の誰かが言ったは言ったとわかっていたのだから、今更蒸し返して傷付くこともないのだ。だけどえりこはたった今花音に裏切られたかのように傷付いた。そんな風に感じるのは、えりこが花音に好意を持ち始めたからというだけの事だ。その前に、既に花音はえりこを裏切っていた。ずっと仲の良かった後輩が急にえりこを裏切ったんじゃない。それはわかっているけれど。
 マフラーを編んでくれるくらいなら、どうして打ち明けたりしたんだ。ああそうか、彼女はきっと良心の呵責に耐えきれなくなったんだ。理性で考えれば花音が心を入れ替えてくれたんだと解釈できるけれど、その前に、どうしてえりこや吉乃さんや遊行さんを陥れたのか。役職のことか。どんな理由が有っても許せない。ここまで許せないのは花音がえりこに歩み寄ってきたから。ここまでしてくれなければ平気で切り捨ててた。切り捨てられないのなら許せばいいのにと思っても心を傾けてしまった分許せない――随分ややこしい話じゃないか。


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written by Nanori Hikitsu 2014
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