ラウンドの女王編p30



「……で、花音を選んじゃったんですね」
るりあはため息を吐いて、えりこの奢った缶コーヒーを口に運んだ。夜の洗濯室は人も来なくて密室の閉塞感も無い、ちょっと話すのにうってつけの場所だった。
「うん、まあ……そうなのかな」
「流石に柳沢が可哀相になりましたわ」
「可哀相ってことはないんじゃないの、別に……いやもちろん、悪いことした、かな、とは」
「まあいいんじゃないですか。えりこさんらしくて」
るりあは呆れているようだった。
「だけど、言いたい事が有ったら言っといた方がいいですよ。男ってのは結構繊細なところがあって、ひとことフォローするとしないとでは全然違いますから。と言っても誰もえりこさんにそういうこと期待してないと思いますけど」
るりあは組んでいたジャージの足を揃え、踵をトンと揃えた。
「言いたい事って?」
「ホラいろいろ有るでしょう」
「いろいろって?」
「……まあいいですよ。無いなら無いで。それでどうするんですか? 花音と付き合うんですか?」
「るりあちゃんもどうも発想が飛ぶ人ね。何でそういうことになるのよ」
えりこは憮然として腕を組んだ。やっぱり1女の間でそういう噂でも流れてるのか。えりこが女の子好きだって。全然そういうんじゃないのに。しかも、あたし達先輩のそういう人と違った面も受け入れてますよって良い子アピールされてるみたいで悪いがちょっと不快だ。
「あの子も男嫌いだって皆言ってますし」
「あの子も、って別に私は違うよ」
「そうですか?」
「それに花音ちゃんもラウンド大会に出るんだよ? いわばライバルじゃない。仲良しの京ちゃんは植津ちゃん派だし、きっと彼女も私の事好く思ってないよ」
そんなことを話していると人の近付いて来る音がして、折よくというか何というかドアの向こうからひょこっと花音が顔を出した。
「あっ」
花音はえりことるりあの顔を見比べてびっくりしたようにおろおろしている。
「花音ちゃんどうしたの? 洗濯?」
「え、いいえ……」
まあ、明日東京に帰るんだから今夜洗濯しなくてもいいだろうとは思う。
「え、えりこさんが洗濯室にいるみたいって、言ってた人がいたから……お一人かと思って」
そうか、るりあが一緒だと思わなかったから驚いたんだ。
「私に用事?」
「じゃあたし席外しましょうか」
るりあは何だか不機嫌そうに立ち上がる。
「ううん、いいの。るりあもいていい。えりこさんごめんなさい、私勝手に柳沢くんにパートナー申込んじゃって。彼さっき体育館で怒ってたでしょ。えりこさんと柳沢くん仲良かったんだ、私知らなくって」
 花音は寂しそうに目を伏せた。彼女が泣き出してしまうんじゃないかと思ってえりこは慌てた。
「謝る事無いって! 全然そんな、何も問題無いよ。気にせず楽しんできなよ。あの人結構ラウンド上手いでしょ、きっと楽しく踊れると思うよ!」
「ううん。私、断られちゃったんです。他に一緒に踊りたい人がいるからって」
花音は目を伏せたまま無理して笑って見せた。その健気な表情にえりこはどきりとした。
「断ったの? 柳沢くん。あの人が……」
 えりこは意外に思った。断るにしてもちょっと考えさせてとか、他の人が駄目だったら、とか言えばいいのに、そんな即座に断らなくても。八方美人っぽい彼にしてはえらく強気だな。えりこには断られないという自信が有ったのか知らないが、彼としてはえりこ以外と組むことを想定していなかったんだろうか。
「えりこさん柳沢くんと組みたいんでしょ? だったら私、しょうがないですよね。断られちゃったんだし」
「花音ちゃん……」
何かいじらしい。女の子はこうでなくちゃ。えりこはしみじみ花音の女らしい長い髪のうねるのを見ていた。
「えりこさんも彼と組みたいんですよね……」
何だろう。何回もそんなこと言って。ああ、えりこの気持ちを確かめたいのか。えりこは少し慌てた。
「花音ちゃん柳沢くんと組みたいなら私彼に言ってみるよ?」
「本当ですかえりこさん」
ぱっと花音の顔が明るくなった。
「ちょっとえりこさん」
るりあが横からえりこのTシャツの袖を引っ張った。
「そんなことすることないですよ。花音と柳沢の問題なら二人に話し合いさせれば」
「うん、でもさ、お京ちゃんに言われて協力するって言っちゃったんだよね、そういえば」
 あーと言ってるりあは頭を抱えている。
「えりこさん誤解しないで下さいね。私別に、えりこさんの妨害をしたいとか、変な下心が有るとかいう訳じゃなくって。私、えりこさんの踊りを見てて、私もやってみたいって、あんな風に踊ってみたいって、民舞入って初めて思ったんです。だから私、私、あの」
 あれ。えりこは不思議に思った。花音は植津派じゃなかったのか? るりあがそう言ってたと思うけど。
「あの、植津ちゃんじゃなくて?」
「え、植津さん?」
そう言われて花音は少し戸惑ったようだった。
「植津ちゃんに指導部長になって欲しいって思ってるのかと思った」
「あ……お京はそんなようなことを言ってるみたいですけど……」
「あら花音、あなたも明確にお京に同意して、そうよねやっぱり指導部長は植津さんよねって言ったじゃない」
るりあは特に悪気は無さそうだがズバズバ物を言う。嫌だな何か変な空気になってしまった。花音が黙っているのでえりこは急いで口を挟む。
「まあでも指導部長とか役職の話は全然別だもんね。花音ちゃんがちょっとでも私の踊りに共感してくれたんだとしたら私嬉しいよ?」
「は、はい……」
 花音はそれを聞いてまたちょっとびっくりしたように目を見開いて、それ以上何も言おうとしなかった。
 花音は何となく掴みどころの無い子だ。気が弱いのかと思ったらラウンド大会でえりこと勝負するなんて言うし、1年の女の子の方から男にパートナーを申込むなんてえりこより積極的だし、その割にえりこにはハッキリ物を言わない。何を考えてるんだろう。
「あの」
再び花音が口を開いた。
「あの本当に私えりこさんには誤解して欲しくなくてあの……」
何と彼女はうっすらと涙ぐんでいるではないか。正直えりこは女の子の涙に弱い。少女漫画の嫌いな登場人物すら涙を見せただけでえりこの気持ちを180度転換させ支持させてしまう。まして現実にこんな可愛い女の子に泣かれてしまったらこりゃどうしたらいいんだか。花音は上手く言えない思いをどうにかえりこに伝えようとしているらしく、目を上下に動かしながら黙っている。その彼女が言葉を発するまでえりこは静かに待っていた。彼女の言葉が聞きたい。その一心で。だがそのえりこの誠意をどう受け取ったのか、もしかしたらえりこが花音の発言を引き出す手伝いをしないのを冷酷だと感じたのか――確かに冷酷ではあるのかもしれない。年長者として。でもえりこは心情の面では彼女と対等なのだ。花音は哀しそうな顔をして、それじゃあと言うと洗濯室から出て行った。えりこはるりあと顔を見合わせる。
「あれ何かな?」
「さあ」
るりあは肩をすくめる。
「私も彼女の事よくわかってないですけど。あの子お京にあれこれ指図されて本人としては不本意なことしてるんですかね?」
「うん、私も何となくそんな気がする」
 えりこはこういうの面倒だなあと思いながらも、花音のことがひどく気にかかった。


 時刻は夜の2時。丑三つ時ってやつだ。開始時から比べると体育館は大分静かになって来たが音楽は途絶えることなく鳴り続けている。三年の指導部がそれぞれの好きな難しい曲をかけて踊ったり、二年生がそれぞれの初コール曲を思い出して再披露したりして、起きている少人数でまったり楽しんでいる。福徳大の男たちは馬鹿な飲み方をしたせいで大勢床に転がって酒の匂いを漂わせ、片隅では四年の佐藤さんと久さんが静かに語り合いながらちびちび飲み交わしている。女の子達もマットの上に座って眠たそうに踊りの輪を見ている。流石のえりこもこんな時間まで踊っていると頭も体もふらふらしてきてしまう。口数の少なくなったダンサー達だがそれでも背筋を伸ばして華やかにカロチャイ・ウグロッシュ(ハンガリー)を踊っている。肘から先をひゅんひゅん言わすように伸ばしては引っ込めている吉乃さんの切れの有る踊りを見ていて、えりこは歌子姫の事を思い出していた。彼女も綺麗に回るんだろうな、と思った。
 ふと見ると、柳沢が一人でビール瓶の所にちょこんと座ってカロチャイ・ウグロッシュを見ていた。踊りを覚えようとかいう程食いついて見ている訳でもなく、彼もまた眠そうに、ぼんやりと片手で空のコップをもてあそんでいる。えりこは少し考えて、思い切って彼の所へ行った。近付いただけですぐ目が合って、えりこは思わず会釈した。会釈なんて変だが。
「あのさ」
「はい」
「花音ちゃんのことだけど」
えりこがそう言うと柳沢は途端に嫌そうな顔をした。そんな顔しなくても!
「断っちゃったんだって?」
「はあ。俺はえりこさんと踊るつもりだったですし」
「う、うん……」
そう言われるとえりこも何と言ったらいいかわからず気まずくなる。いやだから、まだ承知した訳じゃなかったじゃないか。
「うん、だけどさ、女の子がね、誰かとパートナー組みたいって思って、それでこっちから申込むって、案外勇気要るよ? 花音ちゃんもさ、クールに見えるけど、さっき何か泣いてたし」
「えりこさんていつも女の子の味方ですよね。でもさ、男だって同じですよ」
「何が?」
「俺だって先輩に申込むの勇気要りましたよ」
「あ、そっか……」
「花音ちゃんに頼まれたんでしょ、俺と踊りたいから説得してくれって」
「それは……いや、正確には、京ちゃんとの約束の中に入っててさ。でもね、それはもうどうでもいいや。誰かと踊りたいっていう気持ちはさ、得難いものなんだし、一緒に踊りたいって思われた柳沢くん自身もその得難い体験……いや得難いってのは変か。貴重な経験を大事にして欲しいっていうか……」
「その台詞そっくりそのままえりこさんにお返ししたいですね」
柳沢はぷいと向こうを向いてしまった。うーむ。拗ねてしまった。えりこも悪いんだがこいつやっぱり扱いづらいなと困り果てる。こういう時えりこもそんなに気の利いたフォローができる方でもないし、仕方なく黙ってそこに座っていた。あ、次は去年覚えたプロブディフスカ・コパニッツァ(ブルガリア)だ。こんなフィギュアの多い複雑な曲、機会が有ったらどんどん踊らないと必ず忘れてしまうので、ちょっと行っておきたかった。でも話のこじれた状態で1男を一人放って踊りに行ってしまっていいものなのだろうか。踊りが民舞人の本分とはいえ。だけどこの曲は聞くだけで踊りたくなってうずうずする。
 えりこがそわそわしているのに気付いたのか、柳沢がやっとえりこの方を見た。
「いいですよ。わかりましたよ」
「え?」
「だから……」
しまった、意識が完全に柳沢からブルガリアに移っていた。
「あ、あの、花音ちゃんと組んでくれるの?」
「えりこさんがそう言うなら仕方ないですよ。でも俺はですね。えりこさんとラウンド踊りたいから大会に出るつもりだった訳で、そうじゃなきゃ勝ち負けにもこんなイベントにも興味は」
「ありがとう柳沢くん! よろしくね! ありがとう! 本当感謝してる」
 大声でそう言葉をかけながら、プロブディフスカ・コパニッツァは全13個のパート(踊りの塊)が有る構成の内の、もう3パート目に入っていて、えりこはチェーンの最後尾で踊っている2男の隣に急いで駆け込み、そのベルトを掴んだ。まあすぐに自分の薄情さに気付いて冷や汗をかいたけれど。ああせっかく彼が折れてくれたのに自分は踊りや女の子に夢中で、本当に人として大事なものが欠けてるんじゃないか。人の事なんて言えない。せっかく後輩が……せっかく可愛い後輩が……そんな言葉を頭の中で繰り返しながらコパニッツァ(ブルガリアの11/16拍子のリズム)を踏み終わり、やったぞ最後まで間違えずに踊り切った! と弧の字描いて右足ヒールを床に下ろしてフィニッシュ。曲が終わった時にもう柳沢はいなくなっていた。

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written by Nanori Hikitsu 2013
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