ラウンドの女王編p26

その時川上の方から石を踏むような音が、河原にはそぐわないちょっと規則的なリズムで響いて来た。皆一斉にそちらを見る。暗闇に慣れてきた目に白いTシャツが見えた。髪を向かって左、つまり右耳の下で一つに縛り、その頭が上下しないので全く走っているように見えない、直立した姿勢で、あたかもセシャミール(Seyh Samil,アゼルバイジャンの踊り)の女性のようにさささっと滑り寄ってきたのはなんと歌子姫ではないか!
「歌子さん!」
「歌子ちゃん!」
 口々に彼女の名を呼ぶと、歌子姫はなんとその勢いで、いやわかる、止まろうとすると返って難しいのだろう。そのままえりこに突進してきた。
「えりこさん!」
 えりこの心配とうらはらに、歌子姫は嬉しそうににこにこしていて、軽く背伸びするとふわっと腕をえりこの首に絡みつけそっと体重をあずけてきた。勢いだけで突っ込んで来るんでなくこうやって足の筋力を使ってさりげなく体重バランスを整えるのがフォークダンサーの潜在能力だ。そして彼女の白い掌がぎゅうとえりこの頸の下を覆ったかと思うと髪の先がかすかにしかし確かに首筋をくすぐり、びっくりしてえりこは固まる。
 言葉もなく女同士で抱き合っていると、ようやく春木氏が年長者らしく口を開いた。
「どこにいたの? えりこちゃんすごく心配してくれてたんだよ。謝りな」
「どうしてハルキさんに怒られなきゃいけないの」
歌子姫はそちらに顔を向けもせずに怒ったような声で言った。
「福徳大の方も一緒に来てくれたんだよ。一人でいなくなったりしたら困るよ。何か有ったら部長達が責任を負わないといけないんだよ」
「皆心配なんてしてないくせに! 米倉さんも森さんも……らんだって」
歌子姫がそう言うと、春木さんは何かに反応したかのように眉を上げた。
「何だ、そういうことか。歌子ちゃんこっち来なさい」
「嫌」
「歌子ちゃん!」
春木さんがちょっと怒っているみたいだったのでえりこは自然と歌子姫を庇う気持ちになって、手を彼女の腕に添えた。
「ハルキさん、私が宿まで歌子さん連れて行きます」
「甘やかすのは良くないよ。歌子ちゃん我がまますぎる。彼女はねえ、指導副のらんちゃんに迎えに来て貰いたかったんだよ。そんなことの為に皆を巻き込んで、らんちゃんが来ないからえりこちゃんを頼って来て、えりこちゃんの好意まで……」
「ハルキさん!」
歌子姫はぱっとえりこから離れ、怖い目で春木氏を睨んだ。その目が赤く光っているように見えた。
「余計な事言わないで下さい」
 えりこはぼんやりしていたがようやく事情が呑み込めて、言葉を失った。指導副のらんちゃん? そうか、春木さんの言葉を彼女は否定しないのか。えりこのむき出しの腕にさっと鳥肌が立った。
 そうだったんだ……歌子姫が来て欲しかったのは指導副のらんさんで、えりこじゃなかった。……まあ、そりゃそうだなとえりこは思った。歌子姫はもうびっくりする程踊りの上手いスターで、凡人のえりこはただ憧れて、友達になれたと思って一人で勝手に喜んで、そしたら実はそんなんじゃなかった。思い上がってた。彼女の事何もわかってないくせに。
「行こう、柳沢くん」
えりこは自分の気を引き立たせるように明るい声で言った。
「えりこさん」
歌子姫が言い訳よりむしろ文句でも言いたげな声でえりこの名を呼んだ。えりこがハルキさん側に付くのが不満という訳か。そんなのもうどっちでもいい。
「らんさんきっと心配してるよ。早く帰ってあげなよ」
つとめて平静にそれだけ言ってえりこはさっさともと来た道を引き返し始めた。
「えりこちゃん、ごめんね。今度改めて謝りに行かせるから!」
うしろから春木氏が大声で言ったが、歌子姫は追いかけては来なかった。

えりこはしばらく黙って歩いていたが、とことこ付いてくる柳沢に悪いと思って振り返った。
「ね、ハルキさんて歌子姫のこと好きなのかなあ?」
 は? とびっくりしたように柳沢が立ち止った。
「何なんですか一体」
「いやふと思っただけ。ごめんよくわかんないよね」
え、ああとごちゃごちゃ言いながら柳沢は目をパチクリさせて、
「いや俺はてっきり、あの人えりこさんに気が有るのかなと」
「え?! なんで?」
「よくわかんないっすけど、お二人が外から体育館に入って来て、えりこさんが一緒に来て欲しいっていうから、えりこさんあの人と二人きりでいたくないのかなって。俺えりこさんに頼られたのかなって思って」
「あ、うん、その、もちろん! 柳沢くんてすごく頼りになるし!」
そう言うと柳沢はほっとしたのだろうか、軽く頷いた。何だかよくわからないが彼の親切心を無にしてはいけない。
「一緒に来てくれて本当嬉しかったし助かったよ。ありがとうね」
「いえ大丈夫っす」
「でも多分ハルキさんはただの親切な人で、私に対してどうこうってことはないと思うよ。だから尚更二人きりは嫌だなってお互い思って」
「あー考えてみたら今二人になっちゃいましたね。すいません気がきかなくて。岩木連れて来ればよかったです」
「まあいつも一緒に活動してる後輩だしいいんじゃない?」
「ふうん、そんなもんですか。えりこさん潔癖そうだし抵抗無いなら嬉しいです」
そうなのか。……潔癖って。それにしてもこういうことで嬉しいって思うもんなのか、男子って。えりこは少し可笑しくなった。

「でも結局」
黙って歩いているうち話を蒸し返してしまった。
「歌子姫は高嶺の花よね。美人で、踊り上手くて。やっぱり指導部の素敵な仲間がいいよね」
「えりこさんは当て馬だったっつーことですか」
「やめてよね、そういう品の無い言い方」
えりこは少し機嫌を損ねたがこうやって軽口にしてしまえば傷付かずに済むような気もした。そうなんだなあ、つまりえりこは傷付いているんだ。自分で気が付いて少し落ち込んだ。
「らんさんて知ってる人ですか?」
「ううん。知らない」
「三人で仲良く、って訳にはいかないの?」
「そんな単純じゃないよ」
「そうですか……」
 柳沢は他にかける言葉が見つけられないようで、とうとう黙った。理解できない状況の人に親身になろうとしても無駄、余計な事は言わない方がましだということをこの男はわかってるんだろう。まあそうだろうな。えりこもこういう時何て言えばいいかわからない。女の子に失恋したなんて、いや、えりこは恋をしていた訳じゃない。それでも、女の子が女の子に失恋、というのは有るのだと思う。友情が破綻するというのとは別で。惨めだった。

体育館へ帰ると扉の向こうからひょっこり1女の花音が顔を出した。
「あれ」
「あっ……」
花音はいつも京と一緒にいる美人の子だ。
「えりこさん。S大の方は?」
「あっ見てたの? もう帰ったよ。私も今日はもう宿に帰ろうかなあ」
えりこが言うと、花音は控え目に笑って、
「ならあの方飲み会にお誘いすればよかったですね」
「ハルキさん? あの人ちょっと取り込み中というか……」
 えりこは中に入ってメヒコスカートとダンスシューズを拾うと腕に抱え、また扉の所に戻って来た。すると花音と柳沢が何か話していた。
「私宿に戻るね」
「あ……私達も」
二人はえりこについて来た。今日は花音はお京ちゃんと一緒じゃないらしかった。珍しいような気がするがまあいつもべたべたしている訳でもないんだろう。1女の人間関係などえりこはもともとよく知らなかったのだし。
「あの春木さん、踊ってるところ見たことあります。えりこさんはやっぱりああいう人がタイプなんですか?」
花音が親しげに話しかけて来る。こんな綺麗な子にそうされると嫌な気はしないものだ。
「ん? 踊りはタイプかな。踊りは、ね」
「カップル組んで一緒に踊ったことあります?」
「有るよ。それでいいなって思ったの。踊りが、ね」
「顔も結構かっこいいし」
そうかな。えりこはあんまりそういう目で見ていなかったけれど、花音がそう言うならそうなのかな、と思い、否定するのはハルキさんに悪いから黙っておいた。
「デートしたって本当ですか?」
「え、誰が?」
「えりこさんがあの方と」
「してないしてない。あ、歌子姫と三人で出かけたこと、誰かに聞いたの?」
「三人だったんですかー」
花音は意外そうな顔をした。
「でも、何だかあやしいというか、あの方えりこさんを意識してるみたいに見えました。えりこさん年上の人にもてますよね。だって……」
「え……もう、やめてよね」
なんだかわからないがさっき柳沢も変な事言ってたし、えりこは落ち着かない気持ちになった。
「でもやっぱり男の人は踊りが重要ですよね。それで何倍も素敵に見えちゃう、ってこないだえりこさんも言ってた」
「あはは、そうだった」
「やっぱりそうなんですねえ。踊りが上手いと、好きになっちゃいますねえ。上級生とか見てても……」
 花音の言葉にふとえりこは歌子姫の事を思った。そういえばえりこが彼女に惹かれた理由の一つに確かに踊りが上手いという要素が有ったかもしれない。でもそれは純粋にその人を見ていないのかと言えば、そうでもない気がする。えりこからすれば踊りもその人の一部なのだ。彼女の綺麗な顔が好きなのと同じ、いやもっと強く、彼女の端正な踊りが、えりこに寄り添ってくれる呼吸が、えりこには忘れがたいものだった。えりこをリードしてくれた歌子姫の、右手でふとパートナーの腰骨を押さえる力加減の柔らかさが、今もえりこの体に刻まれている。その感覚を脳内で再現すると妙に官能的ですらある。あれは相手が踊りやすいようにという配慮、言ってみれば或る種の精神的な愛で、思いやりで、同情で、それでいながら実際に手や肩や腕を触れ合う直接的なものでもあって、ややもすればそれは自分一人だけに注がれる特別なものとも勘違いしてしまうが、そうではない。むしろらんさんという人にこそ彼女が注ぎたかったのだという事実を思うと、嫉妬してもよさそうなものだけれど、一度も会ったことの無い人に完膚無きまでに叩きのめされて、えりこにはもう言葉も無い。大袈裟だけれども。そんな感じがするのだ。

 花音と話していても何か上の空になってしまってえりこは申し訳なく思いつつもろくすっぽ聞いていなかった。やっとのことで一生懸命しゃべっている彼女に意識を戻し、えりこはふと聞いてみた。
「花音ちゃんは? やっぱり踊り上手い人が好き?」
花音は黙ってえりこを見つめる。何の表情も読み取れない。
「……あ、ごめん」
うしろから柳沢がついて来ていることをやっと思い出しえりこは言いかけた話をやめた。
「こういうのは女子トークでしようね」
「はい」
花音は首をかしげて笑う。あ、可愛い……えりこはちょっと見とれた。目付きがちょっときついから態度もつんけんしているように感じてしまうが実は優しい普通の子なのかもしれない。そして、これは、白檀? お香か何かがふと花音の動かした腕から馨った。香水というより、京都のお土産の匂い袋をえりこは一つ持っているがそんな匂いだ。多分そういう匂いの元を持ち歩いているんじゃなく、こそっと箪笥に入れて下着に染み込ませたようなうっすらとした清楚な香り。
 よく知らなかったけどいい子じゃないか。女らしい子、えりこは好きだ。自分がそうじゃないから憧れる。別に歌子姫に振られたから他の子に乗り換えようって訳ではないけれど。でもこの子は植津ちゃん派でえりこが指導部長になるのに反対してるんだよなあ……。
 えりこと遊行さんの事実無根の噂を流した1女が誰なのかちょっと聞いてみたかったが傍で柳沢が聞いてるし、それにもし犯人がまさかの花音だったとか仲の良いお京ちゃんだったとかいう時に絶対自分は事態をフォローできないと思ったので、聞かなかった。えりこはもういいや、という気分になった。それはそれ、だ。今この子とどうやって仲良くなるか、ということの方が重要な気がした。これまで先輩らしいこともせず偉そうにしていたのだ。これからはこの子や柳沢のことも考えてあげなければならない。
「そういえば花音ちゃんてラウンド上手いよね」
三人は宿の玄関に着いていたので、えりこは最後のつもりで靴を脱ぎながら言った。
「え? 私がですか?」
「うん、テネシーワルツのさあ、ボックスを描く所の体重移動とか。ボックスって、地味な指摘でごめん」
「え……」
花音は戸惑っているようだった。
「ありがとうございます」
いえいえどういたしまして、とえりこは二人と別れて二階へ上がった。ふう。今日は疲れた。それからすぐお風呂に行って、明日に備えて布団に入った。明日はキャバリート・ブランコのコールで、合宿で丸一日過ごせる最後の日。夜はオールナイトで踊るからほとんど寝られないだろう。今日のうちに寝ておかないとと思ったらすぐ眠気が襲ってきた。とにかく寝よう! 考えるのはやめにして!



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written by Nanori Hikitsu 2013
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