ラウンドの女王編p19

「でも三人はすごいわね。えりこちゃん上手いもんねえ」
世羅吉乃さんは花の指導部を仕切る天下の指導部長で、民舞界では下手すると部長よりも権威の有る立場の方だ。しかしそんな偉そうな顔をすることなく、とても真面目で優しい綺麗な人なので、下級生は皆憧れている。華やかな葵さんからしても「理想のタイプ」なんだそうだ。
 それはえりこが一年生の時のこと、酷い腹痛で一人部室の床に寝転がっていると、たまたま一人で入ってきた吉乃さんがあっと驚いて駆け寄って来た。大丈夫? 病院行く? と聞かれたが胃痛腹痛は小さい頃からの持病みたいなもので、病院に行ったことも有るのだが問診触診でまあ大丈夫でしょう、大きくなったら治りますと、薬も出されず終わったことからえりこも両親もさほど重要視しなくなり、今に至る。しばらくじっとしていればそのうち治るだろうと、体の右側を下に、心臓の方を高くして横になるというこうするといいとどこで聞いたかもう忘れてしまったまま続けている体勢で寝ていたのだ。保健室に行ってもどうせ薬ももらえず(大体保健室には薬を置いていないし、それに痛いのは胃でも腸でもないような気がするのだ)横になっている他無いのだからここでこうしていても同じだ。えりこがそう言うと吉乃さんは、自分は医療のことはよくわからないけど、と言って背中をさすってくれた。
「でも病院でも解決できない痛みって有るよね。だけど、できたら病院に行ってね。私心配だから」
本当言うと心配されても困るしちょっとの間付き合ってくれてすぐ帰っちゃうくらいなら、その分こっちが気を遣わなきゃいけないのが正直嫌で、いっそのこと放っておいてもらいたかった。これはもう、大丈夫です、治りましたと言って帰ってもらおう、起き上がるのもしんどいんだけど、と起き上がろうとしたえりこを吉乃さんは優しく諭した。
「えりこちゃんまだ痛いんでしょう。演技なんてする必要はないんだからね。寝てるか、今から病院行くか、どっちかよ」
「え、演技ってどうして」
「えりこちゃんて私の弟にそっくり。いい子なんだけど、いつも自分一人で苦しんでれば全て丸く収まるんだなんて変なこと考えて。私のこと好きじゃないのかなって悲しくなるわ」
えりこはびっくりして思わず語気を強めた。
「私吉乃さん好きです」
「ありがと。嬉しいな」
吉乃さんはにっこり笑って優しくえりこの肩を叩いた。
「お家北府中だったよね。お家に帰れるまでついてるからね」
「え……でも私こんなことしょっちゅうだし、そんな甘やかさないで下さい」
「しょっちゅうなんだ。ならいつも私の目の届く所にいてくれたら、毎回助けてあげられるんだけどなあ」
「毎回って……」
その日は結局三十分くらいそのまま吉乃さんが背中を撫でてくれて、少し楽になったので一緒に電車に乗って帰った。西国分寺まで出たら吉乃さんは中央線に乗り換えなのだがそのままえりこの最寄駅まで南下して、そしてついでだからと駅から10分のえりこの家までついてきてくれた。
 これくらいの痛み、背中を丸めてないとならない程度にはつらいがこのままテレビを見て笑っていられるくらい慣れてもいたので、家族にあんた腹痛くらいでそんなと驚かれて、吉乃さんの前でちょっと恥ずかしかった。いやのんきな家族なのである。
 それ以来吉乃さんはいつも一人でいるえりこをちょくちょく気にかけて何かと世話を焼いてくれた。時には吉乃さんの彼氏の遊行さんも一緒に行動して、えりこは不躾にもデートに同伴する形になってしまうことも有る。えりこはこんな優しい人を好きにならない理由が無かった。サークルの皆となかなか馴染めなかったえりこがここに残ったのもほとんど吉乃さんのお陰だ。今は大分同期とも仲良くなれたけれど。

「で、誰にするか迷ってるんだ?」
葵さんが面白そうに指を顎の下で組んで、首をかしげた。このポーズは可愛らしくもあり古いポスターの女の人のようで感じ良くもあり好きだなとえりこは思う。
「その、正直誰でもいいんですけど」
「えりこちゃんが一番好きな子選べばいいじゃない」
「大会で勝ちたいならやっぱり指導部引っ張り出すのが一番じゃない?」
突然北野順子さんが言った。
「え? 遊行?」
葵さんがふいに両肘を抱えるように腕を組んだ。
「何?」
「いいえ……本人が出たいなら私は何も言わないけど」
「葵は大会時に引退してる三年生が出るべきじゃない、と言いたいのね」
順子さんが笑いながら言うと葵さんは眉をひそめた。おやこの人でもそんな顔するんだ。
「私は別にいいんじゃないかと思うのよ。でも先日四年生に釘を刺されちゃって。現役OG問わず良く思わない人もいる、ということは覚えておいてもらいたいわ。でも、まあ、えりこちゃんが三年や四年と組みたいなら、何とか力添えはするわよ」
葵さんは最後にはいつものようににっこり笑って見せた。そうか……このOBOGというのが案外口うるさくて、部に何か有るとすぐ部長や指導部長、渉外部長にお叱りが来るのである。部員が基礎ステップを間違えて覚えているとか、OGが来たのに1年生を全員連れて挨拶に行くタイミングが遅かったとか、イベントのオーディションに落ちたとか。いつもその矢表に立たされているこのお三人のことだから、互いにその立場の苦しさはわかるのだろう。誰も葵さんを責めはしなかった。
 それにしても指導部を引っ張り出すのが一番、か。指導部といえば、福徳の同期は誰を来年度指導部長に選出するのだろう。2男は8人いて、次期部長はほぼ決まっている。学年リーダーをしている奴が大抵部長になるのだ。学年リーダーと言ってもリーダーシップの有る人がやるとは限らず、とにかくひたすら連絡役や幹事をさせられる使いっ走りのような所があって言ってみれば貧乏くじだ。そういう制度は大野女子には無いのでえりこには実態があまりよくわからないけれど。
 そしてステイタスの高いのがここでもやはり指導部長。でも今の2男でこの人だと思うような飛び抜けて踊りの上手い人は思い当たらない。と言っても踊りがそこそこ「できる」人は何人かいて、彼らがいざ指導部に入ってみると突然才能を開花させ人をうならせるものだから油断ならない。彼らの中からラウンドのパートナーを選べばいいのだ。これはこっちの見る目が試される。えりこは気付いた。自分に人を選ぶなんてことができるのか……?

「遊行と言えばさあ」
北野順子さんは開けっ広げな人なので、最初何の含みも無く言い出したのだと思った。
「えりこちゃんて遊行と仲良いの?」
「え? 仲良いって、普通ですけど」
「1女でちょっと気にしてた子がいるけど」
「はあ? 何をですか」
「だから……二人が仲良いんじゃないかって」
順子さんがふと吉乃さんに気を遣ったような言い方に切り替えたので、えりこは驚いた。
「私いつも、吉乃さんと一緒の時しか遊行さんと話してない思いますけど。大抵の場合」
「ふうん、そう。それなら別にいいんだけど」
「なあに順子。私に気を遣ってるの? 言い出したんだから全部言えばいいのに」
吉乃さんは大して気にしていないような口調で、膝の上の踊り資料をぺらぺら繰っている。だがその指の神経質な動きから、ふと何か不安に思ったんじゃないか、とえりこは思った。
「大したことじゃないんだけど」
順子さんが見たものを全てそのまま話しているかはわからない。多分、さし障りの無いことだけを選んで話している。えりこがそう思ったのだから多分吉乃さんもそう思っただろう。
「私さっき、お風呂上がって大分経ってから忘れものに気が付いて、脱衣所に行こうとしたのね。そしたら1女が上がった所で、皆で長々話してたのよ。入って行こうとしたら泣き声が聞こえて」
な、泣き声? ただならぬ事態じゃないか。
「入りそびれて聞いてたら、遊行さんは吉乃さんの彼氏なんだから、諦めなよって。泣いてる子はただしくしく泣いてて誰かよくわからなかったんだけど、他の子が急に、でもえりこさんも遊行さんと親密に付き合ってるみたいだし望みは有るかもよって」
えりこは何も飲食していないのにむせてしまった。
「遊行って、それは1女が勘違いしたのよ」
急に葵さんが口を出してきた。
「えりこちゃんが踊り上手い男の人は意識しちゃうよねって話してて、何か言葉のあやみたいなもんなのに恋とか何とかそういう話になっちゃったって……あら」
「あ、葵さん? その話一体どこで……」
えりこが思わず口を挟むと、葵さんは肩をすくめてちらっと舌を出した。
「ごっめん。瞳にここだけの話ねって言われてたのに、ついえりこちゃんのフォローしようと」
「……その話なら、私も瞳からここだけの話ねって聞いた……」
なんと吉乃さんまで。ひ、瞳さんたら! 何て口の軽い人なんだ!
「そっか。ならまあいいじゃない。1女の噂が広まってそっちから変に吉乃の耳に入るより、誤解の無い形で話の出所に近い人から3女が直接聞く方がいいでしょ。それで多分瞳も話しまくってるのよ」
葵さんは笑った。恋とか言い出したのは瞳さんだ。それで責任を感じてしまわれたのだろうか。でもまあ、あの状況だと1女もえりこが遊行さんに恋してると深刻に受け止めた子もいないでもないだろうから、というか実際いるんだとしたら、瞳さんは瞳さんでフォローをしてくれてるんだとありがたく思わなくちゃならない。でも思わぬことが何だか大変な話になってしまったみたいだ。

「いやそれがね」
北野順子さんは頭をポリポリ掻きながら続けた。
「1女は実際えりこちゃんと遊行が親密そうにしてるのを見たって言ってたのよ。何のことかよくわからないけどね。私が聞いたのはそれだけよ。すぐ部屋に戻って、まだ忘れ物取りに行ってないんだ」
「あら、穏やかでないわね」
葵さんはちょっと咎めるように順子さんに言った。そんなこと、吉乃の前で言うことないのに、と言いたかったんだろう。これじゃさすがの葵さんもフォローできない。
 一方えりこは全く身に覚えの無いことを言われて戸惑っていた。えりこと遊行さんが親密そうに、って。サークルの人達の前で見せている姿が全てなのだが。だけどそれを取りたてて「親密そうに」というのは多分、スキャンダラスなよからぬことを1女が具体的に口にして、順子さんがそれをぼかして言っているのだ。福徳大3年のクールな容姿で大人の雰囲気を漂わせる指導部長、遊行弘文さん。踊りが上手くてとっても優しいから下級生には結構人気だと思う。その遊行さんとえりこが何で噂にならなきゃならないんだ。変な噂が立っているなら順子さんもえりこだけにこっそり教えてくれたらいいのに。吉乃さんを見ると目が合った。まずい。しかしえりこは後ろ暗いことなんてしていないのだから、おどおどする必要は無い。
「私が吉乃さんの前で誤解を解いておいた方がいい、って順子さん思って言って下さったんですよね」
「そよ」
「してないですよ。してないですけどね、もし本当に私が後ろ暗い事してたらもしかして……」
「その時は私も吉乃の同期として黙ってないわよ」
順子さんはにっこり笑った。こ、怖い。いや本当に、このお三方は味方にすればとても心強い頼りになる人達だが、敵に回せばこれほど怖い相手は無い。伊達に先輩やってないのだ。順子さんは、場合によってはえりこをとっちめてやろうという気持ちくらい有ったと思う。もちろん葵さんも話によっては激怒するだろう。吉乃さんには縁を切られるかもしれない。そうしたらえりこはいわば敵陣に一人無防備に乗り込んでしまったようなもので、泣かされて済めば儲けもの、下手すると民舞追放の憂き目に遭うところだった。
「まあ、えりこちゃんが最近もてもてで民舞人キラーなのは否定できないけど」
葵さんは首にかけていたタオルの下に細い指を滑り込ませ細いけれど弾力の有る首筋を軽くおさえて、
「人の男盗るような器用さは無いわね」
そう断言した。
「うん、えりこちゃんは不器用だわ」
順子さんまで真面目な顔で言った。いやそこは笑いながら言って欲しかった。
「あのね、でも私達が口出しできることじゃないし、ね?」
吉乃さんが遠慮がちにとんちんかんなことを言うので、葵さんと順子さんが同時に、
「吉乃は言える立場でしょ」
「口出ししなさいよ!」
そう言って吉乃さんを小突いた。
「あの、あの本当に何の心当たりも無いんです私。強化練の時休憩時間に飲み物買いに行ったら自販機のお釣りが切れてて、10円玉が無くて困ってたらたまたま通りかかった遊行さんに小銭もらっておごってもらっちゃってそのままベンチに座って雑談したくらいしか私」
「馬鹿ねそんなことくらいで1女が騒ぐ訳ないでしょ。最近の十代の子はもっとませてるわよ」
「順子、そんなことくらいって言うくらいだから、もっと過激な話聞いたの? ひょっとして」
「……」
順子さんの沈黙。吉乃さんはため息を吐いた。
「いいわよ。この際だから私も聞きたいわ。私が遊行くんと付き合ってるのを公表したのは最近だし、皆どう触れていいかわからなくて変に気を遣ってくれちゃってるみたいだけど、付き合い始めてからはもう二年になるから私も少しは彼のことわかってると思うし。何を聞いてもそれなりに冷静に判断できると思うわ」
「まあ吉乃ったら。この私達を長いことたばかってきただけのことはあるわね」
葵さんはくすくす笑った。


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written by Nanori Hikitsu 2013
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