ラウンドの女王編p17

夕食の席は特に決まりも無く食堂に来た順に空いている所へ入ることになっているが、2女は2女でかたまって入って来たのでえりこは植津の隣になった。他の学年に聞かれたくない話をするには丁度良いがえりこは当初内緒話をするつもりも無くて、いつものように黙々一人で食べながら他の子の話に耳を傾けていた。すると突然植津が話しかけて来た。
「役職の話だけどさ」
「えっ」
不意打ちだったのでえりこは戸惑った。
「えりこも私も指導部入りたいんだよね。あとは、深田」
植津は構わず話し続けて、本題に入る。
「……うん」
「今年の2女は6人だから、部長、指導部長、指導副部長、渉外部長、渉外副部長、衣装部長っていう主要役職を挙げたらもう6人埋まっちゃう。他の役職はどこかを調整して誰かが何かを兼務、ってことになるわね」
えりこは周囲を見回し、向かいもその隣も2女の他には2男しかいないのを確認する。まあ聞かれても問題無いだろう。そう、えりこの代の女子は6人しかいないので少々役割分担が大変になるのだ。そして部長と共に執行部として重要な役職、つまり副部長、財務が独立できない。何か有った時公平な立場でいる必要の有るこれらの役職は本来あまり指導部、渉外部等における「長」が付く役と兼任しないならわしだが、今回に限ってはもし副部長と財務が指導部にも渉外部にも関われないとなると実際問題仕事が滞ってしまうのでそういう風にできないだろう。
「指導部は指導部長と副、二人しか入れないと思うのよ」
植津はハンバーグをつつきながら言う。うん。人数の多い学年なら「指導部員」という形で三人目四人目の指導部を入れることもあるが、えりこの代は人数が少ないのでそういうことができないかもしれない。
 今の3年生の役職を一応確認すると、部長が黄葵さん、指導部長が世羅吉乃さん、指導副が新見瞳さん、副部長と三人目の指導部員を兼任しているのが春香さん、渉外部長が北野順子さん、渉外副がいずみさん、財務と衣装部長を兼任しているのがすみれさん、である。ちょっとややこしいけど。
「深田くるみは指導部なら副でも三人目の指導部員でもいいって言ってる。指導部長に立候補してるのは私とあんた、二人よ」
「そうね……」
相槌を打ちながら、えりこはいつの間に自分が指導部長に立候補したことになったのかと、今更ながら緩い事を考えてどぎまぎしてしまった。
「ま、よく考えといてよ。指導部のことだけじゃなくて、他の2女がどの役職に向いてるとか、そういうことまでね。あんたそこまで考えてないでしょうから」
見破られていた。
「合宿中に決める必要は何も無いんだからね。時間は有るから」
「ね、ちょっと聞いていい?」
えりこはお箸を置いて手を膝の上に乗せた。
「ん。何?」
「私よりうえちゃんの方が踊り上手いし、たくさん曲を覚えてるし、リーダーシップもあるし、しっかり自分の考えもあるし、それなのに私が指導部長になりたいって思うのはおかしい?」
「ううん、全然」
植津はえりこに構わず味噌汁をすすりながら言った。
「どっちが踊りが上手いかは私知らないけど」
植津は今度は千切りキャベツにハンバーグの残りのデミグラスソースを付けてからごはんに乗せ、かき込みだした。
「全然おかしくないよ。何て思われるかなとか、周りのことは気にしない方がいい。えりこもっと自分に自信持ちなよ」
「うん、ありがとう」
「でもサークルのこと考えたら、私だっていい加減な気持ちで譲ったりできないんだからね」
「うん」
えりこは胸に熱い気持ちがこみあげるのを感じながら、再び箸を取った。
植津は1年の時からすごくはっきりした子で、仲は良いけどそういうところが少々苦手でもあった。こういう子と真剣に話し合うことになるなんて、サークル活動に参加するというのも大変なことだ。でもそうでもなければ一生えりこは自分の殻に閉じこもったままで、それはそれで魅力的で世間一般の価値観に沿って生きるようになることだけが正しいとは絶対に言えないと思うけれど、そういう経験を重ねることにも魅力を感じないわけではない。

 そんなことを思いつつ、食事が終わってお風呂に入り、2女で集まって来年度の渉外部の仕事分担についてなど話し合っていたのだが、えりこは途中30分休憩に、話し合い中回していた洗濯機のところへ戻ってきた。洗濯機は終了まであと2分という表示を光らせていた。えりこは洗濯室の壊れそうな古い椅子に腰かける。そして役職のこととか、サークルに入ってからのこととか、先程の話し合いの中でいろいろ思い出したこと、今まで考えて来なかった自分の立場のこと等を考えた。それから明日のこと――明日は午後からバーベキューだ。今日もコールに次ぐコールで少々疲れて来ていたので(新しい曲を次々何曲も習うのはやはり疲れる。上級生になって必死で覚えるようになったし)正直こういう休憩は助かる。だけど、えりこは明後日キャバリート・ブランコのコールをすることになっているので明日の夜はコール練をしなきゃいけない。としたら、明日は歌子さんに会えるんだろうか。などと考えていると、洗濯室の入口の靴の泥落とし、昔からよく見る、茶色い亀の子タワシみたいな素材の、緑とピンクの四角い入れ子のダイヤが二つ並んだ柄が入ったあれが外に敷いてあるのだけれど、それが足で蹴られてシャンと金属音を立てるのが聞こえた。
「あ」
えりこは入り口に立っていた人を見て思わず声を立てた。あの生意気な1男、柳沢のやつだ。
「お疲れっす」
柳沢はいつもと全く変わらず細い目でそこにぼーっとしている。午後の練習のマリア発言から(聖母マリア様ごめんなさい)柳沢とは食堂で会っても目も合わせられなかった。こんな所で二人きりになるとは。
 その時えりこの洗濯が終わった音がした。えりこはしかし座ったままどぎまぎしている。
「終わったんじゃないですか?」
「え? ああ」
えりこは立ち上がって洗濯機の蓋に手をかけたものの、これを乾燥器にぶち込むんだが、とちらりと柳沢の方を見た。
「ああ、俺外でたばこ吸ってます」
「た、たばこ?!」
「ああえりこさん、俺一年浪人してるからもう成人してますよ。えりこさんと同い年です。酒を飲むならたばこも吸います」
「そ、そうなんだ……」
びっくりした。てっきり彼は年下の未成年と思っていたのに。しかし律儀に彼は敬語を崩さない。まあ普通そうだけど。実年齢より先輩後輩の序列の方が重視されるので、同い年だろうとえりこの方が上の立場なのだ。
「何かすっかり警戒されちゃってますね。ちょっと話有るんで、乾燥機入れ終わってもそこいて下さいよ」
柳沢がどこかへ行った隙にえりこは急いで下着を含む洗濯物をコイン乾燥機に入れた。やれやれ。しかし……。えりこは待っていなければいけないのか? 考えてみたらそんな義理も無いし、彼を放って行ってしまっても別にいいのだ。でも何か話が有るって言ってたな。どうしよう。迷っているとじきに足音がして、柳沢が戻ってきてしまった。
「もうたばこ吸ってきたの?」
「やっぱりやめました。代わりに、ハイ。どっちがいいですか」
柳沢はコーラの長い500ml缶と、うめドリンク250mll缶を差し出した。何なんだよこの男子の選択は! 女子の好きそうなものがわからないなら無難にオレンジジュースとか、せめて普通の350mlサイズの炭酸飲料とか買ってくればいいのに、それはそんなに難しい事なんだろうか。男にとっては。しかしまあせっかく買って来てくれたんだし文句も言いづらくて、500mlは論外なのでうめドリンクとやらを頂いた。小銭入れから100円出そうとすると止められた。ああそうか。こういう時は奢ってもらっていいのか。
「ありがとう。いただきます」
うめドリンクとやらは初めて飲んだが案外美味しかった。運動したしクエン酸とるのはいいんじゃないかな、とえりこは一口飲んで満足してしまい、柳沢に気を許しそうになった。いけない。また油断するところだった。
「洗濯機空いてますが」
えりこは意識的に固い口調で言った。
「いえ、洗濯に来たんじゃないんです。えりこさんがここ入って行くのをさっき見かけて」
「そ。話が有るんだっけ」
窓の外は真っ暗だ。網戸の向こうに蛾が数匹バタバタ羽ばたいて、大きなのが1匹じっと羽根を広げてとまっていた。一帯に虫の声がする。天井の蛍光灯は埃っぽく暗い光を落としていて、田舎に来てるんだなと実感した。まあ都会でもコインランドリーなんてこんなもんかもしれないが。
「こないだ葵さんが言ってた話なんですけど」
「葵さんが言ってた話……」
「何とかって全日本選手権です」
「ああ、ラウンドの」
「えりこさん出るんでしょ? パートナーもう決めたんですか」
「え?」
なんだ、そんな真面目な話か。踊りやサークルに関する話をするならえりこだって彼を邪険に扱うつもりはない。でもまさかここであの話が出て来るとは思わなかったので拍子抜けだった。
「ううん。決めてないよ。なんで?」
「じゃ、俺立候補していいですか」
「……は?」
なんかこう、話がしづらいというか、さっきからえりこはえ、とかは、とか碌な反応をしていない気がする。
「……ラウンド好きなんだっけ?」
えりこはとりあえずジュースをまたひとくち飲んで、聞いてみた。
「あー正直全然興味が無かったんですけど、こないだえりこさんと踊ったら何か楽しいなと思って、そしたら今日ハッシュを踊ってもらったら、えりこさん俺に教えてくれながら、そうそう上手いねって言ってくれたじゃないですか」
「そ、そうだっけ」
「あ、俺ってひょっとしてこれ好きかなって思って。そしたら白井先輩と富田先輩が、えりこさんが葵さんの言ってたのに出るらしいよってさっき話してて」
そう言って柳沢はコーラをガブガブ飲んだ。えりこはその様子を見ながら、ちょっと自分の彼を見る目が変わったのを感じた。彼がそんなことを言うなんて意外だ。
「そっか。それはすごく嬉しいな。一緒に踊って楽しいって思ってもらえるのって、民舞人として一番嬉しいよ。うん、まだラウンド選手権、私自身出るってはっきり決めてないけど、柳沢くんと組むの考えてみるよ」
「ほんとっすか」
「一応、ちょっと保留ね」
「はい」
それから自然にえりこの心は溶けて、いつの間にかオパンケ(ブルガリアの編み上げ革靴)作りの話とか、学校の噂話とか、雑談をしてしまった。柳沢はこうしてみると話して楽しくない相手ではなかった。むしろ楽しい。普段全然社交的じゃなくてうなずいているだけのえりこがぺらぺら自分のことを話してしまうくらい。やつは伊達に八方美人じゃない。
「えりこさん中学は共学だったんですか?」
「うん、小、中までは公立だよ。高校はカトリックの女子校」
「何で大野女子大に入ったんですか? 実はクリスチャンとか?」
大野もキリスト教主義の学校だがプロテスタントだ。信者なら普通その辺も拘るんじゃないか?
「違うよ。家が府中で近かったから」
「え? 近いからって大学決める人珍しいですね」
「いやいやいや、第一志望は落ちたの。でもお陰で武蔵野線だと一本、西武線とJRだと乗り換えはかなり面倒だけど距離は近いし。電車止まって帰れなくなった時は親に車で来てもらったりさ。こういう時すっごいいいよ」
「朝の礼拝とか有るんですか?」
「うん? さあ……昼休みにやってるみたいだけど行ったこと無いよ。高校の時のロザリオのお祈り会やクリスマスミサには行ってたけど」
「ミサ、ですか。いかにもミッションスクールって感じですね」
礼拝が有るのはプロテスタント、ミサはカトリックの宗教行事なのだ。
「ううん。うちの高校はキリスト教主義だけどミッションスクールじゃなかったよ」
「違うんですか」
「うん……ミッションスクールっていうのはあくまで布教目的の学校なのね。ミッション、ってそういうことみたい。うちはそうじゃないって、シスターの校長先生がそう言ってたんだもん。うちはキリスト教を通して生徒を教育するって方針なだけだから、いろんな宗教の家の子がいたし、先生たちもカトリックのシスターだけじゃなくて、臨済宗のお坊さんはいるわ、ユダヤ教のシスターはいるわ。でも宗教の授業でキリスト教のことは習うし、朝礼では毎日聖歌歌って聖書読むし、カトリック的な学校行事はあれこれあるし、やっぱりバリバリカトリックのキリスト教主義ではあったけれどね。ミッションスクールって言われてるほとんどが実はミッションスクールじゃないんじゃないかなあ。本当のキリスト教って実は結構すごい世界だと思うよ。布教って命がけのもんでしょ。まあ言葉の定義に関してはいろいろ解釈があるとは思うけど……」
思わず熱弁をふるってしまったが引かれてしまっただろうかとえりこはちょっと反省した。これだから時々、空気読めない、と言われてしまうのだ。
「ふうん……そうなんすか。じゃあまあとにかく、えりこさんは宗教に抵抗が無いって感じなのかな」
「そうだね。自分は特に信仰心ってのはあんまり無いけど人のことにも構わないよ。柳沢くんは?」
「俺はよくわかんないです。典型的な現代日本人かな。クリスマスは母親がツリー飾ってケーキ焼くし、正月は初詣行くし、子供の時、七五三の時は神社行きましたね。親戚の法事にはお坊さん来るし。それでいて熱心に何かの宗教やってる人見るとちょっと引いちゃう、みたいな」
「なるほどねー。そりゃ典型的な日本人だわ」
「じゃえりこさんはそれで歌子姫と普通に仲良くできるんだ」
えりこは訳がわからず一瞬黙った。
「え。なんで?」
「だって華栄女子でしょ」
「私よく知らなかったけど、華栄って」
そう、えりこにとってこれまであまり問題じゃなかったから気にすることもなかったのだが、華栄女子短大の提携校であるS大というのは明治時代にできた真魂教という宗教の大学で、学生はその信者の子弟がほとんどを占めるという。そのことはえりこも知っていたが、名前の違う華栄女子短大もそうだったのか?
「いや、だってS大の同じ敷地内に校舎が有るっていうし」
「そうなんだ、知らなかった」
S大華栄はフォークダンス部が一緒にやってるんだし言われてみれば何も不自然なことは無かった。しかしそれを聞いてもえりこは特に違和感を覚えることも無かったし歌子姫に対して今までと違う感情も起こらなかった。えりこの友達にクリスチャンもいるけれどだからと言って特に付き合い方が変わるわけでもないのと一緒だ。そっか、あの子真魂教の子だったのか。ただそう思っただけだ。
「何か、すいません。こういうデリケートな話題じゃない方がいいですよね」
「あ、そっか、そうだよね、ごめん」
えりこは笑ってまたジュースを飲んだ。乾燥機がごんごんと音を立てていた。

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written by Nanori Hikitsu 2013
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