ラウンドの女王編p15

さて合宿三日目。
 午前中にえりこのガンキノ・ホロ#2(ганкино хоро、ブルガリア)のコールが有った。これはとてもうまくいった。五日目のキャバリート・ブランコ(Caballito Blanco、メキシコ)に使うメヒコスカートがかなりの大荷物なので、昨日のゴニーツァ(Goniţa)のルーマニア衣装は持ってきたがガンキノホロのブルガリアの民族衣装は持ってきておらず、練習着でのコールだった。 歌子姫と踊ったお陰でリズムの勘がつかめたし随分余裕を持って踊ることができた。どちらかというとブルガリアは苦手だったのだが、デモした後の指導部始め部員の拍手がいつもより盛大だったので、結構よくできたんだと思う。一年生達も入れ替わり立ち替わりしてえりこの方に寄って来た。
 この1女の「守る会」だが――前夜えりこが宿を抜け出してS大華栄の合宿所に行ったことは当然バレた。だが一年生達はお風呂の後、新入生向けの民舞レクチャーやレクリエーションの会が有って、えりこが向こうにいる間は突撃することができなかったのだ。チヨコもそういうイベントが有るなら言えばいいのに、うっかり連れて行ってしまった。えりこはすぐ寝てしまったから知らなかったが、帰って来た時菊地じゅんがえりこをかばって適当なフォローをしてくれたらしいので、特に何か言う子もいなかったんだという。えりこは早々寝てしまったので(チヨコにもじゅんにも申し訳なかった)今朝になって部屋におはようございますの挨拶にやってきた尚美とメイコにいつもより爽やかにおはようと言うと案外何も言われなかった。そんなもんなのかな。と、同室のチヨコを見ると……彼女は今時珍しいリボンとフリルのついた白いネグリジェ姿で眠たそうに布団に転がったまま皆の方を見ていたが、何も言わなかった。この子も他の1女とはあまり仲良くやって行けていないのだ。いい子なんだけどな、とえりこは少しもどかしく思った。

「ねえ、えりこさんてば」
1女がえりこのTシャツの裾を引っ張った。
「私達の編みだした技を見て下さい!」
1女はベルトホールドで並んでナトリサーネ(両隣の人のベルトを掴んだまま両手を震わすブルガリア舞踊の動き)をしながら阿波踊りの足の動き、トータッチ・ステップで前進するという訳のわからないことをしている。近くにいた指導部は腹を抱えて笑っていたがえりこは深々とため息をついた。
「あなた達ね」
「はい!」
「妙齢の女子が、普通練習してまでそういうことする? 上手すぎるよ……」
「はい! 昨夜のレクリエーションで練習してました!」
「普通さあ、好きな男の子の話とか、かっこいい先輩の話とか」
「やっだなーえりこさん、民舞にかっこいい男なんてそうそういませんよ」
やけにきっぱり言うなこの子達。
「あなた達まだ民舞人を見る目がなってませんな」
「民舞人を見る目?」
「まあそんな見る目が有るようならあなた達も立派な民舞人ってことだけどね」
「まさかえりこさんは好きな福大生がいるんですか?」
尚美がちょっと眉をしかめて言った。そんな、まさかって。まあ自分でもまさかって感じだが。
「うーん。そういう訳じゃないけど……例えば遊行さんって結構かっこよくない?」
うちのサークルで踊りが一番上手い福徳大3年の指導部長だ。彼の名前が出て1女の間にどよめきが起こった。
「そりゃあ、遊行さんは、ねえ……」
「うん……」
「……」
1女は顔を見合わせている。遊行さんを引き合いに出したのは少々まずかったか。えりこはしまったと思った。うん、この反応は多分、1女の中に誰か彼に本気の子がいるのだ。この際その子のことは置いておいて、言い出したんだから最後まで言うしかない。
「えっと。まあ遊行さんは下級生に優しいし大人だし面倒見も良いし、中身はすごくいい人よね。内面の良さは100%。でもって、踊りは福徳一上手い。ここがポイントよ。これで三割増し外見が良く見えると思う」
「三割増し……」
1女がまたざわついた。
「えりこさんって手厳しいですね」
「え? そう?」
「うん……私から見ても鬼だと思う」
横から3年の新見瞳さんが口を出してきた。
「え、何でですか」
「遊行くん踊り上手いからかっこよく見えるけど実は顔はそれ程じゃないよってことじゃない」
「……」
えりこはそれまでそんな風に思っているとは自覚していなかった。だがずばり指摘されて反論できない。
「あ、ううん。だからその。ただでさえ素敵なのに、踊りが上手かったらもっと素敵になるというか、全然恋愛対象じゃない人だって踊り見て意識しちゃうようになることも有るんじゃないかなと。そういう意味で、踊りって民舞人にとって重要なんじゃないかな」
そうなのだ。えりこがここしばらくずっと考えていたこと。えりこがこんなに歌子姫のことを意識してしまったのは多分、彼女がとても踊りの上手い人だったからだ。とはいえもちろんそれは踊っている間のことで、曲が終われば現実は戻って来る。はかない夢だ。現実の歌子姫は、きれいな子ではあるけれど気まぐれで怒りっぽくて怖がりで攻撃性が有って、よい所ばかりじゃない。いや同性としては悪い所の方が目につくくらいだ。長く付き合ってる菊地じゅんや植津の方がずっと気が合う。曲が終わってしまえば彼女への執着も終わる――そんなことを考えるとその自分勝手な感覚にえりこは少し寂しくなった。
 その時瞳さんが咳払いをした。
「えっとそれはつまり――」
気付くと1女達も手に汗を握ってえりこを見ている。
「えりこちゃんは遊行くんに恋してるってことかしら?」
「はあ?!」
えりこはつい大声で叫んでしまった。
「だって今の話の流れだと……」
1女達は手を取り合って瞳さんの言葉に頷いている。
「な、なんでそうなるんですか。誤解ですよ。ちょっと私違うこと考えてて! 遊行さんの名前を出したのはもののたとえで一番象徴的な方だから!」
「何、どうしたの?」
「わっ!」
まずいことに遊行さん本人がそこへ現われた。えりこはさすがに赤くなって、ひたすらどこかへ隠れたい、穴が有ったら入りたいという言葉が頭の中を巡り、頭を抱えた。
「僕が象徴的とか言ってなかった? 何の象徴?」
何も知らない遊行さんは面白そうにえりこに聞いてくる。1女はキャーキャー騒いでいる。私も叫んで逃げ出したいよ! だがこういう時気のきいたことが言えず突っ立ってるしかない使えない女だ。えりこは。
「まあまあ、心配しないで。間違っても遊行くんは福徳のセックスシンボルとかいう話してるわけじゃないから」
瞳さんは非常に落ち着いた口調で大変なことを言ってのける。
「そう言われると興味をそそられるけどさ。でも新見ちゃんをそんなこと言う子に育てた覚えは無いよ」
「あら遊行さんてばお上品ぶっちゃって」
「いやいいけど君も大概にね。1女の前で上級生の権威ってもんがね。ガタ落ちだからね。続きはウェブならぬ飲み会でってことで」
「はあい」
瞳さんはぺろっと舌を出した。
遊行さんは笑って行ってしまい、1女も顔を見合せながら、笑ってる子もいる。な、なんとかその場は収まった。
「あの、本当誤解ですから! 皆も、気にしないでね? 私全然遊行さんに恋愛感情とか無いから。まっっったく無いから。これっぽっちも無いから。全然趣味じゃない……じゃないな! えっと? うーんとえーと」
「言い過ぎよえりこちゃん」
瞳さんはこらえきれず噴き出して、心底可笑しそうに笑った。目尻に涙まで浮かんでいる。薬指で涙を拭いながら瞳さんは反対の手でえりこの肩を叩いた。綺麗な指だが、恋人がいようがいまいが民舞人は、踊る時の危険を考えて指輪をしない。その白い指こそが綺麗なのだ。結婚指輪を選ぶ時だって、踊る時誤って人を傷付けたりしないようなシンプルで謙虚なデザインを選ぶ。フォークダンサーの指は綺麗だ。
「まったく、えりこちゃんて普段何考えてるかわかりにくい分、皆余計な詮索しちゃうのも悪いんだけど、春には孝太郎と噂が立って、夏には歌子姫、そして今度は遊行くんて」
またくすくすお笑いになる。
「案外魔性の女だったりして?」
「あの、孝太郎さんとは何でもないし、遊行さんと付き合ってる吉乃さんにご迷惑ですから、本当遊行さんのことはこの場限りの冗談にして頂きたいのですが」
「はいはい。皆わかった? 違うんですって」
「はーい」
瞳さんがいてくれてよかった。まったく、えりこはこういうの苦手なんだから人前で下手なこと言うもんじゃないなと思った。

 なんだかんだでえりこが別にあっちこっち触手を伸ばしてるんでないことを皆わかってくれたらしく、その日の午後体育館に歌子姫が現れても誰もえりこと彼女が話す邪魔をしなかった。はあ、遊行さんか。考えたことも無かった。えりこはそういうこと本当に疎くて、歌子姫に惹かれてるのだって人から見れば恋愛ごっこかもしれないけど本人としてはそれですらない。魔性の女なんてとんでもない。
「えりこさん、どうかしたの?」
福徳の1年生と組んでコールを受けていた歌子姫がいつの間にか近寄って来ていた。彼女の顔を見て、えりこはあっと目が覚める思いをした。やっぱりこの子綺麗だ。知的な優等生タイプの吉乃さんともまた違った美しさ、うん、そうなんだな。精巧な顔立ちの、お人形さんのような白い顔、髪の生え際の産毛、つけまも付けていないのに長い睫毛、そして黒い大きな目がえりこを不思議そうに見上げていた。
「あれ、そういえば歌子さん、華栄の練習はいいの?」
「もう、えりこさんたら聞いていなかったの? S大華栄は今日午後自由行動なの。皆どこかに遊びに行ったわ。平成ロシア村とか」
「ふうん……? ああ、そうなんだ。でも歌子さんは皆と行かなくてよかったの? ロシア村いいじゃん」
「ん……いいの」
「ハルキさんは誘ってくれたんじゃない?」
「もう打ち合わせは済んだからいいの」
歌子姫は春木氏のことなど本当にどうでもいいらしい。でももう打ち合わせ済んだのか……早いな。えりこはラウンド選手権で組むパートナーすら探していなかった。
 歌子姫は1男のところに戻り、アダのクヤビヤク(Ada's Kujawiak、ポーランド)を再開した。
 アダというのは振り付けを考えた人の名前で、クヤビヤクというのはポーランドの踊りの一種を指す言葉だ。ポーランドの踊りは大きく分けてナショナルダンスとレイジョナルダンスがあり、レイジョナルダンスというのはいわゆるフォークダンスだが、民舞で踊っているのはどういうわけかナショナルダンスの方。もともと農民の踊りだったのが宮廷舞踊に取り入れられてヨーロッパの貴族たちに踊られるようになった。種類はポロネーズ、マズール(一般にはマズルカ)、クラコビヤクというのがある。どれも男女2人で組んで踊る踊りで十六世紀頃から踊られていた。マズルカなんてのはピアノが好きな人はポーランドの音楽家ショパンの作曲したものに覚えがあるかもしれないがまさにあの原型だ。マズルカには速度によって、マズール、マズレク、オブラツァニ、オクロングウィ、オベレク、クヤビヤクなどがある。で、クヤビヤクはテンポが遅いもの。オベレクは早いもの。マズレクが中くらい。大学民舞界にはそんなにたくさんポーランドの曲が有るわけではないので詳しいことはえりこもわからないが、女性が男性をぶん投げてぐるんと回すオベレクなどは動画サイトで見てもすごく面白いと思う。クヤビヤクはゆったりした3拍子のカップルダンスで、非常に優雅に踊られる。
 早いスピードで勢いよく回転するのはバランス感覚さえ有ればそう難しくない。だけどクヤビヤクのようにゆったりした、しかも三拍子の曲はリズム感、重心の安定感、そして足首の力がいる。それをこなしこの中で誰よりも上手く踊っている歌子姫を見てえりこは軽い嫉妬を覚えた。男女が横に並んで連動する動きといい抱き合うように腕をかけて回る動作といい、アダのクヤビヤクはもともと恋人同士の踊りと言われている。体重のかけ方に特徴の有るぐるんぐるん回る踊り。優雅に。優雅に。上げた片足の先の高さはもう片方の足のふくらはぎ辺りに抑えて、あまりはね上げない。宮廷の貴族の踊りを意識して。やっぱり彼女は上手い。ああでも、合宿の練習が終わっても一人残って義務でもない自主練をしていた歌子姫。彼女は人一倍努力しているのだ。指導部長だから? いや違う。彼女は本当に踊りが好きなんだ。
 だけど民舞はそういう人ばかりじゃない。むしろ毎晩催される飲み会が好きとか……いや何と申しましょうか、サークルの雰囲気が良いとか、とても面倒見の良い先輩たちが好きでとか、大抵そういうのが有ってこんなマニアックなサークルに籍を置くことになるのだ。それが歌子姫には無いのだろうか。今は踊り好きになったえりこだって初めは一切興味が無くて、ダンスなんて華やかなことしたことも無く、たまたま1年の春の新勧オリエンテーションでフォークダンス部の部屋の前を通りかかったらたくさんの人が見たことも無い綺麗な服を着て踊っていたものだから、これは何だろうと思ってついふらふら入っていったところ、当時3年生で今はもう引退してしまった濃子さんに熱心に勧誘されて、話が弾んで新勧コンパに行くことになり、その濃子さんがことさらえりこに目をかけて話しかけてくれたものだから、ああなんて優しい人なんだろう、大人っぽくて素敵だし、この先輩とまたお話ししたいなあ、大学ってところにはこんな素敵なお姉さまがいるんだなあと思って……もうずっと濃子さんとお話ししていたから踊りのデモなんてほとんど見ていなかった。踊りがいいとかじゃなくそんな理由で入部届を出して1年4カ月になる。
 今はえりこも踊りが好きになってラウンドの女王なんて言われもしたが、実際民舞人なんてそんなもんだ。だけど歌子姫ときたらまあ、同期と仲悪いわ、自由行動の日に一人で他大に来ちゃうわ、上級生に喧嘩ふっかけるわ、まあハルキさんもちょっとどうかと思うところはあるけど、せっかくサークルに入ってるのに全然仲間と楽しもうとしていないみたいにえりこには見える。いや、えりこがそんなこと思うのもなんだけど……えりこどころでなく本当に歌子姫は踊りのことしか考えてないみたいだ。でも同じ民舞でも大学によってサークルの雰囲気は全然違うし、S大指導部の小島さんの指導なんて見てると福徳大野とは比べ物にならないような厳しい練習だったから、あそこはそういうサークルなのかもしれない。ストイックといえばストイック。うちの大学でよかった……。えりこは思った。あんなバリバリの体育会系サークルだったらえりこは民舞に入っていなかっただろう。民舞との関わり方も人それぞれなのかもしれない。



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written by Nanori Hikitsu 2012
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