ラウンドの女王編p14

およそ300メートル先、新川本を右方向です。
カーナビが言った。春木氏はナビの言う通り右折信号を出して、右折した。
「そっち、山じゃないですか?」
ふと歌子姫が言う。
「いや? こっち高速の出口が有るんだ。ドライバー向けの店やガソリンスタンドが並んでるよ」
「だってこっちの方が道が狭い気がする!」
「ナビの終着点、ほら見てよ。ちゃんと指示通りに行ってるでしょ」
「でも暗くなった!」
歌子姫の声に焦りの色が見えて、えりこはあれっと思った。
「気のせいだよ。大丈夫大丈夫」
「さ、さっきの道に引き返してよ! ちょ、ちょっと止まって!」
歌子姫はあきらかにうろたえながら前の座席の背に手をかけ身を乗り出している。ああさっきから彼女が怒っていたのは、不安からだったんだ。えりこは納得した。
「一応今のところ大丈夫だと思うよ歌子さん。私さっきからナビと道と見比べてたし、違う道行ったらナビって再検索とかし出すんだよ」
えりこは思わず横から声をかけた。
「でも……ハルキさんなんか信用できないんだから! 去年現役の時だって、指導部のくせにいつもてきとーで……!」
「もう、歌子ちゃんは、踊ってる時しか可愛くないんだから」
「ベントキック練いつもさぼってたの知ってるんですからね! そんなだから男性曲ちゃんと踊れなくて!」
「は? 何で今そんな話を」
「ルチェニックも全然踊れないし! 途中からハンガリーに狂ってバルカンを放棄して!」
「ねえハルキさん」
見ていられなくてえりこは身を乗り出した。
「行くって言った私の責任でもあるんですけど、引き返しましょう」
「え? 何? 大丈夫だよ?」
「あのねえハルキさん。仮にも先輩でしょ? 歌子さんと一年以上接してて、私よりよくわかってるはずじゃないですか。怖がってる人をこんな所まで連れ出すなんて、上級生としてどうなんですか?」
「え? え? 怖がってるって、誰が何を?」
「だから、歌子さんが、ハルキさんを」
「は……? 歌子ちゃんが? 怖がってる? 僕を?」
一瞬間を置いてから、
「ははは」
何と春木氏はゲラゲラ笑いだした。車内に無神経な笑い声が響く。こいつ……二、三発殴ってやろうかとえりこがこぶしを固めた時だった。どこから見つけ出したのか、歌子姫がスーパーマップル詳細首都圏版道路地図を手に、鬼のような形相で春木氏に襲いかかった。後でつくづく、車に広辞苑を積んでいなくてよかったとえりこは思ったが、この本もそれなりに分厚い。容赦ない激しい攻撃に春木氏も顔色を変えた。
「え? ちょっ……あぶな……」
車が急ハンドルを切り、更に急ブレーキが踏まれ、えりこは助手席の方に向かって頭から突っ込んだ。車はCCW(カウンタークロックワイズ。反時計回り)に(おそらく)1/4回転程スピンしやっと止まった。
 あまりのことにえりこは頭がぼーっとして、何が何だかわからなくなった。ああ、手は動く、足も。頭も痛くない。どこも……痛くない。え。歌子姫は?
「うたこさん?!」
がばと起き上がって暗い車内を見ると、外の街灯の光を浴び座席シートの下にちょこんと丸くなって歌子姫は座っていた。両手に地図を持って。
「だ、大丈夫?! 怪我しなかった?! 歌子さん?」
「う……うん」
放心したように歌子姫が返事をすると、春木氏がルームランプをつけた。
「二人とも、大丈夫?!」
「どこか痛い所無い?」
えりこは焦って歌子姫の手を取った。
「う、うん……」
「本当? ぶつけなかった? 首痛くない? きゅ、救急車呼ぼうか?」
えりこは自分の携帯で110番を押していたのを思い出した。まさか119番が必要かもしれない事態になるとは思わなかった。
「大丈夫。どこも痛い所無いみたい……」
えりこは歌子姫を半分抱きかかえるようにしてあちこち撫でて、歌子姫の言葉が本当らしいことを確認した。春木氏が車を路肩に停めて後ろの座席に駆け寄って来たが、えりこが完全ガードしているので彼はあまり歌子姫に触れられなかった。
「言っておくけど、車はちゃんと停止したからね。カーブでガードレールにぶつけそうになったのをよけて、反対にぶつからないようちょっと急ブレーキかけちゃったけど、速度も出してないから二人が思ってる程大した事態になってないよ」
「もう! ハルキさんはこんな時にそんな冷静な分析を」
えりこはほっとし過ぎたのか体から力が抜けて、深く息を吐いた。
「いや、二人を安心させようと思って言ったんだよ。ちょっとでもぶつけてたらこんなんじゃ済まないからね」
「あ、ハイ……そうですよね。ってゆーか運転中に私が無神経なこと言ったから、ごめんなさい」
えりこは素直に謝った。
「いや、えりこちゃんは悪くないよ。僕が笑ったりしたから歌子ちゃんを怒らせちゃって、悪かったよ」
「な、何ですかハルキさんそれ。結局私が一番悪いみたいな。私何も悪くないじゃないですか」
いや悪いだろうとえりこは内心思ったが、突然歌子姫が覚醒したかのように食いついて来たことの方にびっくりした。
「いや本当ごめん。ドライバーの責任が一番重いことは自覚してるからね。歌子ちゃんは悪くないよ」
春木氏はえりこの腕の中にいる歌子姫の頭をぽんぽんと叩いた。
「じゃ帰ろうか」
春木氏は運転席へと戻った。
「え、ごはんは?」
歌子姫はびっくりしたように言った。
「大変な思いさせちゃったからね。帰って早くお風呂入って寝なよ。僕は何とでもなるから」
「春木さんのことはどうでもいいです。びっくりして気が抜けたらお腹空いちゃったんです。ファミレス行ってください」
歌子姫がしゃきしゃき言うのでえりこはまた驚いた。
「えりこさんをこんな目に遭わせてただで帰す気ですか?! 一番高いステーキ奢ってもらいますからね!」
ふざけてるのかと思ったら、歌子姫の目は真剣そのものだった。

安いので有名なファミレスチェーンなので一番高いと言ってもたかが知れてるだろうが、それでも一番高いに違いないプレミアムリブロースステーキが歌子姫とえりこの前に並べられた。学生には目のくらむごちそうだ。うーむ。さすが普段ちやほやされてる人は違う。何の遠慮も無くこんなもの男に奢らせるなんて。社会人ならともかく春木氏だって学生なんだぞ。えりこがデザートを頼もうとしているのに無理にステーキ二人前、歌子姫が注文してしまったのだ。
 だけどね歌子さん、私達宿でそれぞれ夕ご飯食べて来たんだよ? 平凡な女子大生がその上でステーキ一人前、普通食べないでしょう。パンはつけなかったけど。春木氏は嫌味なのか一番安い目玉焼きハンバーグ頼んでるし。
 とはいえ歌子姫の言った通り、びっくりした後というのは案外お腹が空くもので、えりこも一人前美味しくいただいてしまった。踊ったからというのも有ったかもしれない。とりえず学生には肉を与えておけばよい、とは良く言ったものだ。

「えりこさん! あんみつが有りますよ! ほら。ね、ハルキさん」
「……いいよ、頼みな」
「あ、私はもう結構です。ごちそうさま……」
ピンポーンとベルを鳴らし、歌子姫がクリームあんみつを2つ注文した。この細っこい子がよく食べるなあ! えりこは感心した。いや、いいんだが付き合わされるえりこは笑顔が引きつった。もちろん、奢ってもらうのは大変ありがたいんだけれど。財布なんて持って来ていないので少し払いますと言うこともできない。
「嬉しい。あんみつって好きなんです。私クリームあんみつって、和と洋が見事に融合したお菓子だと思うんです。みつまめに餡が入ったあんみつに、アイスを乗せてクリームあんみつ。寒天の生々しさは本来おかずに分類されそうなものなのに、甘い餡子を乗せて、それにいるのかいらないのか一見よくわからない赤えんどう豆! これ、実は重要と思いますよ。このちょっと塩味のする中のパサパサな豆が、小豆とは全く違う方面から攻めて来るとゆーか。これがここに5粒しか入ってないというのも憎いですね。何だこれは! と考えてる間に食べ終わっちゃって、それなのに食後思い返すとあの硬い食感がすごく印象に残っていて。シロップ漬けの果物は味が濃いけど主役はあくまで寒天と赤えんどうだと思うんですよ。それから黒蜜はほんのちょっとでいいと思いますね。餡子が有るし甘みの観点からすると本当は入れなくてもいい人もいるんじゃないかしら。でもあんみつには黒蜜。この風味が有るから私は入れるけれど糖度とかあれこれ……」
歌子姫はさっきからずっとあんみつの話をしている。えりこは歌子姫と並んで、彼女の嬉しそうな顔を見ながら、そういえば同期とこうやって甘味を食べに行っておしゃべりしたりすることなんて無かったな、と思う。
 高校の時も寄り道は禁止だったし、男の子とデートどころか女の子とお茶してダベることも無かった。仲間なのにな。あー、じゅんやめぐとお茶くらいしたいよ。なのに皆飲み会ばっかりでさ。飲み会は酒の匂いが嫌だし男もいるし居心地悪い。自分から皆でケーキ食べよ、女の子だけで、とか誘う行動力も無いし。自分は何てうじうじして嫌な性格なんだろう。歌子姫といるのに自分とこの同期のこと考えてるし。それにしても自分は無神経だったな。あんなこと、ハルキさんの前で言わなくても良かった。本当まずいことした。悪かったな。歌子姫、バツが悪くてこんな一人でペラペラしゃべってるんだ。自分はそんなに人の気持ちを考えない方ではないとは思うんだけど、頭に浮かんだことを何も考えずにパッと言ってしまうところがある。後で悔やんでも遅いんだ。私は何て欠点だらけの人間なんだろう。そんなことを考えてえりこは悶々としていた。
「えりこちゃん、アイスが溶けてるよ」
春木さんがふと歌子姫の話の隙間から声をかけて来た。えりこははっとして手元のクリームあんみつを見た。バニラアイスが溶けてしまって底の方まで沈んでいた。
「えりこさん、疲れたんじゃない? ハルキさんがあんな運転するから。もう帰りたい?」
「あ、ありがと。大丈夫。ちょっとぼーっとしちゃって。それよりお二人はラウンドの打ち合わせしてていいのよ? 私が聞いてていい話ならいいんだけど……」
「うん……」
歌子姫は不安そうにつつつとえりこの方に寄って来て顔を覗き込んだ。それでどう思ったのか知らないけど、右耳の下で縛っていた髪をほどいてゴムを手首にはめ、えりこのもたれるソファの背の、えりこのすぐ傍に寄りかかるようにして顔を見上げた。先の揃った長い髪が背もたれに扇状に広がった。
「……歌で決めるか、フィギュアで決めるかというのがまず有るね」
春木氏が言った。
「え、普通フィギュアじゃないんですか? 見栄えとか考えると」
歌子姫がえりこの顔ばかり見て返事をしないのでついえりこが先に発言してしまった。
「それが、審査基準もじきに発表されると思うけど、審査員は民舞人だけじゃなくて、一般人を入れるっていうんだ。ダンサーじゃない一般の人は一つ一つの難しいフィギュアより曲の雰囲気がそのカップルに合ってるかとか、全体を見るんじゃないかな。もちろん難しそうな複雑なことを上手くこなしてたら評価高いと思うけど」
なるほど、一般人に見てもらうことを想定した曲選び、という視点をこの人はわざわざえりこに教える為に食事に誘ってくれたのか。うーん。一般人の視点。民舞人であるえりこには既によくわからないものになっていた。えりこだったら、普段よく踊ってるのより見慣れないものの方がいいように思うが、初めて見た人にとっては踊り古されたような曲が良かったりするかもしれない。でもどんな踊りだろうとダンサーが良ければ票が集まりそうだ……とはいえ審査員の好みも有るだろうし……。
「そうだね、まあ運と、会場の空気を掴めるか、といったところなのかもね」
ハルキさんはえりこの反応を見てそう言った。
「じゃ傾向も対策も何も無いじゃないですか」
「うん。まあ、こんなてきとーそうな大会続かないだろうし、最初で最後になるだろうから、傾向も対策も何も無いと思うよ。ただラウンドについてそれぞれ考えるいい機会かもしれないね。パートナーとどんな風に踊るか、どんな風に人に見せるか」
もともとフォークダンスは人に見せるより自分たちで楽しむ為のものなので後者についてはえりこもよくわからないが、パートナーとどんな風に踊るか、ということについては確かに重要に思えた。相手がいる、ということ。それを忘れてはならない。それにはえりこも賛成だった。多くの民舞人も賛同するんじゃないかと思う。

「あ、そろそろ11時近いし、帰ろうか」
春木氏が時計を見て言った。
「えりこさん、疲れた? まだ大丈夫なら、ドリンクバーも頼んでいいんですよ?」
歌子姫がえりこにくっついたまま言った。は、離れたくないということかな?
「あれ、歌子ちゃんまだいたいの? 来る前は嫌がってたじゃない」
春木氏は笑ってる。
「えりこさんと一緒にいたいの!」
「明日また会えばいいでしょ。歌子ちゃんまだ未成年じゃなかった? 夜中に連れ回してると僕が怪しまれるよ」
ちなみにえりこはもう二十歳になっている。歌子姫は誕生日がまだのようだった。
「ありがとうね、えりこちゃん。歌子ちゃんに付き合ってくれて。よかったらこれからも仲良くしてあげてくれないかな」
「は、はい! もちろん」
えりこは思わず姿勢を正し膝に手を置いて丁寧に頭を下げた。
「ハルキさん今日はありがとうございました。ごちそうさまでした」
「どういたしまして」
帰り道は非常に順調なドライブだった。仲山ヴィレッジまで送ると言われたが菊地じゅんとチヨコがまだS大華栄の合宿所ロッジ小池にいるかもしれなかったので戻ってもらった。帰ると二人共まだいて、えりこの顔を見て楽しそうに手を振って来た。
「そろそろ帰ろうよ」
「そうね……何時?」
「11時過ぎよ」
「なによ、まだ早いじゃない」
「だってチヨコちゃんお風呂まだでしょ。明日も朝から練習だし、2女の話し合い今日もやるかもしれないでしょ」
「うーん。チヨコどうする」
「そうですねそろそろ帰りましょうか」
この二人もいつの間にか仲良くなったんだろうか。こぶしをぶつけ合ったりしてる。もともとじゅんはお姉さん肌なので後輩と仲良くするのは得意なんだろう。歌子姫はちょこまか宴会場まで来てえりこについてまわっていたが、えりこが大野の子達と親しげに話しているのを見てそっと離れた。えりこは同じ学校の子達と会って少し気持ちが大きくなったのか、自分から歌子姫に笑いかけ手を振った。歌子姫も手を振り返した。

 外は気温が高かったけれど、風が平野を吹き渡り、東京の夜より涼しいように思えた。風ひとつにも旅情を感じるものなのだ。月が綺麗で、電灯の少ない土地の夜空は広く闇は深く感じられた。ああ明日はガンキノ・ホロ#2のコールだなあと、えりこは頭の中でフィギュアの復習と説明の練習を始めた。だがふと、先を歩く二人がさっきから肩を寄せ合って何やら話しているのに気付いた。
「私は全っ然同情できないですけどね」
「うーん。私は歌子姫にちょっと同情しちゃうかもなあ」
「身から出たサビってもんですよ。私が言うのもなんですが嫌われるような態度とるからには独自の道を行けばいいのに、未練がましく人に頼ったりして被害者面するなんて、華栄の部長がむしろ可哀相。板挟みの指導副も可哀相」
「いや部長も頑固過ぎるんじゃない?」
「何? 何の話?」
えりこは思わず口を挟んだ。さっき歌子姫という名前が出て来た気がしたけれど。
 菊地じゅんとチヨコが同時にえりこの方を振り返った。
「歌子姫は何て言ってたのよ。こういうのは片方の側の話だけじゃわからないからね」
「え、何てって何が?」
「同期との喧嘩のこととか」
「え? 私そんな話聞いたこと無いけど……」
じゅんとチヨコは顔を見合わせた。
「……やめとこ。こういうことは本人から直接聞くべきよね」
「そうですね。仲が良いなら特に、他の人からあれこれ言われちゃうの嫌でしょうからね」
えりこは初め何が何だかさっぱりわからなかったけれど、いろいろ考えているとすぐ想像がついた。多分、歌子姫は同期の子達と喧嘩して今のように孤立しているのだ。気のせいかと思ったけれど。
 そうか、やっぱり何か有ったんだな。えりこはそれ以上二人を問い詰めなかったけれど、すごく気にかかった。ハルキさんは先輩だし歌子姫にあれこれ言われてもそんなに気にしていないみたいだったけれど、同期にあんな態度取られたらやっぱり誰だって感じ悪いと思うだろう。あんな怒りっぽい子の機嫌、えりこだっていつ損ねるかわからない。そうしたら今こうやって仲良くしてもらっていても、いつ嫌われるかわからない。そう思った途端、彼女に対する愛おしさがさっと恐ろしさに変わり、彼女から一歩引きたいような気持になった。いや……嫌われるのを恐れて卑屈にならなくても、いつものえりこでいれば自然と本当にえりこのことを思ってくれる人が残って、そうでない人はむこうから去って行ってくれるのだろうし、そうだ。堂々としていればいいのだが。えりこはそんなに自分に自信が無い。それに皆に好かれたい。ごく人並みな欲求だと思うけれど。
 いや多分こんなに臆病になってしまうのは、それだけえりこにとって歌子姫が魅力的だからなのだ。
 えりこは頭痛がして来て、宿に戻るとさっさと二階に上がり、布団に潜り込んだ。あーそうだ、2女の話し合いやってるのかなとは思ったが、歌子姫と話した時間のことや、危うく交通事故になるところだった事件、えりこの傍らでソファに頭をもたせかけていた歌子姫のこと、長い一日のいろんなことが頭の中をぐるぐる回った。

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written by Nanori Hikitsu 2012
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