ラウンドの女王編p13


「横に並んでると結構よくわかるね」
「え?」
「歌子姫の踊り。私いろいろとガンキノホロの解釈間違えてたかも」
「私が踊ったの、資料通りでしょ?」
「うん。本当。すごく正確。リズムもフィギュアも正確。普通、流しちゃえば何とでも踊れるものだから、皆最後に辻褄が合えばいいやってフィーリングで踊っちゃって」
「フィーリングも大事じゃないかしら。理屈じゃなくて体をこう使えば自然に足がこう踏むしかなくなる、っていうの無い?」
「うん、それは何かわかる」
えりこと歌子姫は何度か通して踊った後、疲れて体育館の床に寝転がり天井を見ながらしゃべっていた。全力で3,4分の曲を踊ると一度でもかなり疲れるものだ。それを何度も何度も繰り返したから。
 埃っぽい床は民舞人にはすごく馴染みのあるものだった。高校生の頃は、よくカーペットの敷かれた図書館の、人の来ない棚の前で、床に寝転がって一人で本を読んでいた。あれからまだ二年ばかりしか経っていないんだな。制服が汚れるのも意に介さず、ごろごろ転がっていたら、司書の先生が、四宮さんダニが付くわよなんて言って通り過ぎた。ダニかあ。体育館の埃も体に良くないのかな。図書館はカーペットだったからダニがいたけどここはどうなんだろう。
 ――あの頃はえりこも一人だった。でも本がいつも傍に有ったから、少しも寂しくなかった。いろんな小説や辞典に出会って、いろんな空想にふけった場所だ。今でもあそこに、十代の女の子が座り込んで、人生の貴重な時間を費やしているんだろうか、それぞれの夢に浸って。それは誰が何と言おうと美しいことだ。仲間と過ごす時間も大事だけれど、一人の時間も大事。えりこはそう思う。
「ね、歌子さんは図書館よく行く?」
「え、図書館?」
急に話が飛んだので歌子姫は不思議そうにえりこの方を見たが、
「大学に入ってから通いづめだわ」
「でもさ、高校の時の図書館と、大学の図書館って何か違う気がしない?」
「そうねえ――図書館ってどこも雰囲気が全然違う気がするなあ」
「そうだね。高校の頃は、通う人も大体決まってて。私にとっては用が無くても行って床に転がってるところだったの。誰にも邪魔されない自分の部屋みたいな」
「転がって……?」
歌子姫がくすくす笑った。
「私女子校だったしね。男子の目も気にしなくていいしスカートで転がってた」
「うん、誰にも邪魔されない自分の部屋っていうのはわかるかも」
「大学生で図書館に転がってる訳にはいかないもんねえ」
「いいんじゃないかしら、女子大だし」
「駄目だよ、人がたくさん来るから、邪魔になっちゃうし。それにもう大人だからそんなことしちゃいけないんだよ」
「そっかあ、何か寂しいね」
「うん、寂しいんだ」
それから二人でしばらく黙っていた。変な話しちゃったな、とえりこは思った。
「ね、短大卒業したら」
歌子姫が口を開いた。
「こんな風に体育館に寝転がる事も無くなっちゃうのかしら」
「……そうだねえ。まず体育館って場所になかなか来られなくなるのかもね」
「そっか。そうだわねえ。私、来年にはもうこんな風にしていられないんだ」
「歌子さん……」
悲しんでいるのかな、と思ってえりこは顔を上げてみたが、歌子姫はいつもと変わらない、きりっとした表情をしていた。意志の強そうなまっすぐの眉の下に、黒い瞳が輝いて見えた。鼻筋が通って、綺麗な顔。薄い唇は固く結ばれている。この人は横顔が美しい、とえりこは思った。体育館の灯りは暗く歌子姫の横顔を青白く見せている。もう少し顔を近付けて睫毛の様子などよく見てみたいとも思ったけれど、女同士というのも案外気安く近付いたり触れたりしづらいものだ。蚊取り線香の匂いがふっと強く寄せて来た。
 その時ふいに体育館入口の引き戸が横滑りに開いて、こん、と音を立てた。歌子姫は首だけ起こしてそちらを見たが、えりこは慌てて体を起き上がらせた。
「え、あれ……?」
「歌子ちゃんここにいたんだ」
女子たちの時間を何のためらいもなく引き裂いて、一人でとことこ入って来た男性には覚えが有った。そうだS大四年の春木さんだ。そういえば歌子姫と同じサークルなんだからいてもおかしくない。
「あらハルキさんいらしてたんですか」
歌子姫は起き上がろうともせず、両手を自分の頭の下に組んでちょっとだらしなく彼を見つめた。せ、先輩に向かってこの態度は……いいのか? えりこは驚いた。
「うん、今日午後までバイトだったから、今着いたとこ。あれ? 君はもしかして……えりこさんだっけ。お盆のパーティで会った」
「はい。四宮えりこです。お久しぶりです」
「歌子姫と同期だったっけ。仲良くなったんだ」
「はい」
「それは僕も嬉しいな。ね、えりこちゃんラウンドどうした? パートナー決めた? 何踊るの?」
「ちょっとハルキさん」
いつの間にか歌子姫は起き上がって、えりこの腕にしがみついてきた。わ、何だ? えりこはうろたえた。
「えりこさんに失礼じゃないですか! いきなりそんなに質問ばっかりして」
「いやごめん、この間話が盛り上がったからつい、他人のような気がしなくて」
「えりこさんが素敵だからって、友達づらしないでください。今は私のお客様なんですからね!」
「はいはい」
歌子姫が急に攻撃的になったのでえりこは戸惑ったが、春木氏は笑っている。
「あ、歌子さん髪に埃が付いちゃってる」
えりこが歌子姫の髪のゴミをそっと払うと、彼女の肩に絡まっていた髪の一筋がぴょんと跳ねかえって彼女の胸に落ちた。
「ちょっと妬けるね」
春木氏は伊達眼鏡を外してシャツの胸ポケットに入れた。気障なのにこの人がやると何か許せてしまう。実際私達より大人なんだな、とえりこは思った。
「可愛い女の子同士でじゃれあってないでさ、三人でちょっと出掛けない? 車で来てるんだ。話したいことも有るし」
「まああー――!!」
歌子姫が声を震わせて叫んだのでえりこの方がびっくりして飛び上がった。
「来た早々ナンパですか。えりこさん気を付けて! この人危ないんですよ!」
「人聞きが悪いな」
春木氏は困ったような顔をしていたが、いつものことなのか大してうろたえてもいなかった。うろたえているのはえりこ一人だ。
「ラウンド選手権の話だよ。僕を指名したのは歌子ちゃんだろ」
「あなたはラウンドが上手くて私とダンスのフィーリングが合う、ただそれだけなんですからね! 私とえりこさんの方が何倍も素敵に踊れるんだから!」
「はいはい。わかったよ。でもこの大会は男女で組まなきゃいけないから、今回は我慢してね」
春木氏はポケットから鍵を出して、担いできた荷物の中から財布を出すと、親指で扉の方を指した。
「車で十五分くらい。24時間のファミレス有るから」
「話が有るならここでいいじゃないですか!」
「夕飯付き合ってよ。二人ともデザート奢るから」
「明日朝食は宿に申込んでるんでしょ? それまで皆が買い込んでるおつまみで我慢して下さい」
「お腹空いたんだよ」
「途中で何か買ってくるべきでしょ。東京からここまで一軒もコンビニ無かったとは言わせませんからね! そういう場当たり的で適当なところが嫌いなんです!」
歌子姫と春木氏が揉め出したのでえりこはダンスシューズをそっと脱いで巾着袋に入れ、出口の方ににじり寄った。
「あのう、私はこれで」
「ええっ! えりこさん、私に会いに来てくれたんでしょ? ハルキさんなんかほっといていいじゃないですか」
「でもラウンド選手権は学校対抗だし、私よその大学だし、お二人でお話有るなら……」
「ハルキさんと二人きりなんて絶対に嫌!」
歌子さんの方からパートナー申込んだなら、打ち合わせくらいしてやりなよと思ってえりこも正直げんなりしていたが、歌子姫には同じ大学に親しい友人がいない、この宿に春木氏の食事は無くコンビニももう閉まってカップめん一つ手に入らない、となれば仕方無い。えりこは腹をくくった。
「わかったよ。私、一緒に来た同期と後輩にちょっと言ってくる。一時間くらいで帰れるでしょう? 今9時半か……」
「えりこさん! いいんだってば」
「おお、えりこちゃんよろしく。歌子ちゃん着替えに行かなくていいよ、そのままで。えりこちゃんも練習着だし」
「ごはんくらい一人で行って来て下さいよ!打ち合わせは後でもいいでしょ? 私はえりこさんとお風呂行こうと思ってるんですから……!」
歌子姫とお風呂、という突飛な提案にびっくりして、えりこは思わず赤くなって体育館から飛び出した。
 宴会場へ行ってみると酷い騒ぎで、菊地じゅんもチヨコも完全に出来上がっていた。こ、こいつら……。
「一時間くらいで戻るから! ちょっと出て来る! 歌子姫とS大の先輩と一緒。先帰ってもいいよ!」
「ええー? いいからあんたも飲みなよ。あんたさあ前から思ってたけど付き合い悪いよ。もっと腹割ってさ、話そうよ。役職のこととかさ。あー次いつ話し合いすんのかな。十月くらいまでに決めればいいんだけどさ」
「わ、わかったわかった。話は今度お酒抜きで、ね?」
えりこは酔っ払いが苦手なので逃げるようにじゅんから離れ、チヨコがS大華栄の同期と意気投合しているのを見て安心し、一時間くらい出掛けるけどじゅんと先に仲山ヴィレッジに帰ってもいいよ、と耳打ちした。
「お、歌子姫とランデヴーですか。やりますな! えりこさんて、実は陰でもてますよね。隠れファン多いですよ。守る会もだけど。でもやっぱちょっと地味というか。色白だしロリータ似合うと思いますよ。一緒に着ましょうよ。着てみます?」
「わ、わかったわかった。今度ね」
えりこは体育館へ駆け戻った。
 体育館で二人はまだ揉めていたが、えりこの顔を見てようやく静かになった。
「本当、ごはん食べたらすぐ戻って下さいよ? 本当に嫌なんですからね」
歌子姫はそう言って春木氏を睨みつけるとやっと靴を履きに行った。この子、誰にでもこうなんだろうか。指導部長の前では大人しかったのに。

 春木氏の車は普通の国産車で、暗いし車に興味無いえりこには車種もわからなかったがとりあえず青い色をしていた。えりこは習慣でナンバーを確認しておく。車には新しそうなカーナビが設置してあって、春木氏が近くのファミレスを行き先に設定した。車の中は昼間の熱気が籠っていたけれど広々として、新車の匂いがした。大学生で車持ってるのかな? だとしたらお金持ちだ。
「あっこれ兄貴の車。今年買ったばかりなのに、仕事忙しくて乗れないでやんの。僕が有効活用させてもらってますがね」
すっかり自分の車ででもあるかのようにあちこち触って、サイドブレーキを下げ、慣れたリズムで発進した。
 えりこは春木氏の後ろ、歌子姫はえりこの左隣に座っている。歌子姫は観念したのか落ち着いた様子で背もたれにそっくり返ってつんとしている。変なことになったけど本当にこの春木さんて大丈夫だよね? とえりこは今更ちょっと緊張し、携帯に110番を打ち込んで通話ボタンの上に指を置いておいた。女子校出身者は結構迂闊だが一応何も用心しないわけでもない。むしろやることが極端だ。
「本当はバイト仲間に北海道に誘われてたんだけどさあ、引退したとはいえ学生時代最後の夏合宿だし、民舞に来ちゃったね」
「あら、お友達は皆活動が忙しいのに、就職の決まった暇な四年生は遊んでいらっしゃる」
歌子姫が嫌味たらしく言うとふと春木氏が黙った。
 ん? 今度は何だ? えりこは歌子姫の方を見た。しかし誰も何も言わず、車中の熱気を一気に払う為にパワー全開にしているクーラーの音だけが轟々と響いていた。しばらくして、何事も無かったかのように穏やかな口調で春木氏は言った。
「歌子ちゃんも就職決まってるんだよね」
今度は歌子姫が黙った。だが彼女の方はそんなに長い時間黙ってはいなかった。
「で、ラウンドは何するんですか? 何か思いついたんでしょ?」
「それ話し合おうと思ってさ。歌子ちゃんワルツ得意? 前一緒に踊ったの何だっけ」
おいおい、ライバルが聞いているのにいいのか? えりこが口を挟もうとすると、
「Could I Have This Dance……でしたねあれは」
歌子姫が言った。
 あ、この間歌子姫と踊ったあの曲か。えりこは少し意外な気がした。上手く言えないんだけれど……歌子姫はあの曲をとても大事にしているように感じた。なのにそんな曲を、こんな仲の悪そうな春木さんと踊ったのか。
「あれ、そんな簡単な曲だったっけ?」
春木氏が言うと、
「そんな簡単なとか……」
歌子姫の声からは怒りがにじみ出していた。
「踊りを馬鹿にしないで下さい。フィギュアが難しくなくても踊りの価値は同じはずだわ」
「ああ、ごめんわかってるよ。ただ……」
「ハルキさんて無神経! 踊りが上手いからって傲慢だわ! 馬鹿にしてる!」
「まあまあ、そうじゃなくて、歌子姫と踊った時あまりにも良い踊りだなって感じたから、もっとフィギュアの難しい曲だったように記憶に残ってたんだ」
「ふん。そうですか」
なんだかさっきから歌子姫怒ってばかりいる。いつもこんななら周りはちょっと疲れるだろうなあとえりこは思った。友達が少ないのもそのせいなのかな。もしこれが春木さんに対する愛情の裏返しなんだとしても全く同情や共感の余地が無いくらい歌子姫のイライラはえりこの神経に障る。可愛くなければ本当に人に嫌われそうだ。いや、可愛いのに既に……。なんて無理解なことをえりこが思ってたらちょっと可哀相かもしれない、とえりこは反省してそれ以上心の中で文句をつけるのを控えることにした。
「――まったく、男の人って無神経」
身を乗り出していた歌子姫が再び背をシートに預けた。

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written by Nanori Hikitsu 2012
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