ラウンドの女王編p12

S大、華栄の合宿所に着くと、音楽が聞こえたのですぐ体育館に辿り着くことができた。玄関で靴をダンスシューズに履き替えている時三人はラチニッツァのリズムを耳にした。チヨコはそうとわからなかっただろうけど。ラチニッツァとはブルガリアの7/16拍子のリズムで、民舞人にはすごく馴染みがあるのだ。
「これ、何だっけ」
「イの2じゃないの?」
えりこは言ったが、自分自身は踊れない曲だった。グラオブスコ・イ・ショプスコ#2(ナンバーツー)。略して「イのに」。とても難しい曲なので毎年最後の時期、春合宿にコールされる。えりこは習った時1年生だったがあまりの難しさにブルガリアに苦手意識を持ったものだった。踊りが複雑なのに加え、フィギュアが多くて憶えられない。そしてそれ以前にショプスキが早くて踏めないのだ。ショプスキはブルガリアのショップ地方のステップの一つである。
 三人は急いで体育館の中に入った。中には十人程若者がいて、女の子が一人でイの2を踊っているのを他の全員が取り囲んで見ていた。踊っているのは歌子姫だ!
 「グラオブスコ」の部分が終わり、ショプスコに入ると曲の速度はますます上がり、スカートから伸びた歌子姫の細い足が小刻みに目まぐるしく上下した。「グラオブスコ・イ・ショプスコ」とは「グラオブ」という踊りとショップ地方の踊りをつなげた(「イ」はブルガリア語でandのこと)ものだ。ショップの踊りらしく激しく上に跳び上がる。ショップは山岳地帯なので広い場所が無く、野外で踊る時思う存分横移動ができない分、上に飛び上がる動きが多いと聞いたことがある。本来隣の人のベルトを掴み合うベルトホールドの踊りなのだが歌子姫はコール練なのか一人で、手を腰の所で四指前方(両手を右手は右腰、左手は左腰、その時親指以外の4本の指を腰の前側に当て親指は後ろに当てて自分の両腰を掴むようにする。肘は体の前方に入れる)にして踊っている。ひどく真剣な顔で息を殺して。えりこはその真剣さに圧倒されるようだった。お姫様のような歌子姫が、苦痛をこらえるかのように眉根を寄せて、額に汗をかいている。第三パート、第四パート、複雑なステップを踏み、何回も初めから踊りなおしている風でさすがの歌子姫も次々進行して行く踊りにとうとう遅れだし、何かに迷い、その迷いが引き金となって曲が崩壊していく! どうしよう歌子姫が!

 その時デッキの傍にいた女の人が曲を止めた。えりこはほっとした、しかし、
「歌子さん完璧に憶えてないでしょう」
上級生か、目上の人らしき態度で女性は歌子姫に厳しい言葉を浴びせた。
「あなた憶えたって言ったわよね。一人で完璧に踊れないならば憶えたって言えないのよ。それに基礎ステップからできてないわね。ちゃんとやって」
「はい。すみません」
「謝らなくていいからちゃんとやって。グラオブスコの第三パート、間違ってたから。もう一度資料読んで。あそこはこうね、見てて」
女性はその部分を器用な足さばきで二度ばかりやって見せた。
「タンタンターンね。あなたこうやってた。正しくはこうだから」
「はい」
「あ、時間だから今日はこれでいい? また自主練したら見てあげるから」
「はい。ありがとうございました」
歌子姫は深々とお辞儀をした。
 上級生の女の人が体育館を出て行こうとえりこ達の前を通りかかり、あら、という顔をした。
「あ、お邪魔してます! 大野女子大の者です。遊びに来ました」
えりこ達が頭を下げると、女の人も頭を下げた。
「いらっしゃい。もう今日の練習は終わっちゃったんですけど……」
「あ、歌子さんと踊ろうと思って」
「ああ、歌子のお友達ね。曲自由にかけていいから、ゆっくりして行って。宿の部屋で飲み会も有るからそっちもどうぞ」
「ありがとうございます」
女の人が出て行くと、体育館にいた他の部員もぞろぞろとついて行った。何か貫禄の有る人だ。歌子姫がえりこのところに駆け寄って来た。
「えりこさん! 来てくれたんですね。嬉しい」
「あの人、OG? ずいぶん厳しいのね」
「そう? S大3年の小島さん。指導部長なの」
S大と華栄女子短大は一緒に活動をしているけれど、あくまで違う組織なので指導部長も別にいる。歌子姫は華栄の方の指導部長で小島さんとは対等の立場ではあるはずだが、短大生なので最高学年だけど二年生、一方四年制大学の小島さんは三年生と、小島さんの方が先輩で、一年多くやってる分踊りのレベルも上なのである。それにしてもS大、華栄の練習があんなに厳しいものだとは知らなかった。
「歌子さんあんな難しいのコールするの?」
「いいえ。個人的に練習してて、見てもらってたんです」
なんと自主練でわざわざあれをやっていたのか。
「そうなんだ、偉いね」
「いいえ……私は二年で終わりだし、今のうちにやりたい曲は全部やっておこうと思って」
「そっか……」
本当に歌子姫はフォークダンスが好きなのだ。すごく上手いし、こんな子が今年までしかサークルで踊れないのは少し可哀相な気がした。もちろん彼女の選んだ進路とかそういったことについてあれこれ言うつもりもえりこには無いのだが。
「あ、今日同期と後輩連れて来たの。……っていうか連れて来てもらった、かな」
「こんばんは。菊地じゅんさんと、昨日来た一年の方ですね」
「こんばんは」
歌子姫はやっぱり記憶力が人より有るんじゃないか。じゅんは渉外部に入りたいと思っているだけ有って外に出る方ではあるけれど、めぐのこともフルネームで憶えていたし、えりこ自身初めて歌子姫と話した時「四宮えりこさん」と言われて仰天したのだった。
「あの……何踊る? 女の子ばかりだから、女性曲とかがいいですか?」
歌子姫は遠慮がちに曲目リストを差し出した。あれ、この子ちょっと人見知りしている? そんな様子が見て取れたのでえりこは少々驚いた。だが、
「私はこんな格好だし、飲み会の方に行こうかな」
「私もダンスシューズ持ってきてないし」
「え! 行っちゃうの?」
えりこは戸惑った。そりゃ歌子姫と踊ろうと思ってここへ来たのはえりこ一人だが、二人きりで長い時間過ごす程歌子姫とはまだ仲良くなっていなかった。人の事は言えない。えりこも少々人見知りしているのである。歌子姫を退屈させる自信しかない。
「そうだ、私一人で歌子姫を独占するのは悪いし、華栄の同期の子も呼ばない?」
そうなのだ、実は華栄なら歌子姫よりも部長さんや渉外部長の方がえりこは知っているのだ。だが、えりこがそう言った途端、歌子姫の表情が曇った。え? 何だろう?
「もーえりこってば」
菊地じゅんがえりこを軽く小突いた。
「あんたあんなに楽しみにしてたじゃない、歌子姫と踊るの。どうせ自分なんか下手だしとか遠慮してるんじゃないの?」
「え?」
「そうですよ、えりこさん昼間からソワソワしちゃってホントウ嬉しそうに」
「う、うん……」
じゅんとチヨコが必死でフォローしてくれているのがわかった。そうなのか。変にうろたえて遠慮することで歌子さん程の人も傷付けてしまうものなのか。えりこは自分の無神経さを恥じた。二人に来てもらってよかったのかもしれない。
「あ、じゃあ、二人で踊ろうか。何にする? ああ、そうだ歌子さん、ガンキノホロ#2って華栄もやってるよね。あれは?」
「ガンキノホロ。ええ」
急に歌子姫は嬉しそうに目を輝かせた。
「明日私コールが有ってさ。勉強の為に、歌子さんのガンキノホロも見てみたいなあ」
「じゃ、あたし達飲み会に行ってるね」
菊地じゅんとチヨコはさっさと行ってしまった。
 何と言うか……恥ずかしいというか、決まり悪い。いやいやいや、歌子姫はお友達、普通に接したらいいんだ。普通に。えりこが歌子姫に笑いかけると、彼女は一層嬉しそうににこにこっと笑った。いやこの子、何度も思ったが、えりこのことをライバルと言ったんじゃなかったか。
 歌子姫はブルガリアの曲を集めているらしいMDをデッキに繋いだポータブルプレーヤーに押し込み、ボタンを押して選曲している。彼女は指導部長か。ならいつもこんな風に、部員の為に曲出しをしているのだなと思いながら、えりこは違和感を覚えた。
 ――その部員はどこにいるんだろう? 彼女の仲間は? 福徳・大野の指導部はいつも皆揃って話し合いをしたり、踊ったり、時には遊びに行ったり、内で揉め事は有ったとしても強い仲間意識を持って行動している。特に合宿中は仕事も多いのでちゃんと分担して、一人が何かに手こずっていたら他の人がさっと手伝う。いつでも助けたり相談に乗ったりできるよう、常に一緒にいるのだ。
 だけど歌子姫はいつも一人じゃないか。いやもちろん、福徳・大野程繁雑な仕事は無いのかもしれないし、華栄の部員が皆優秀なら指導部は楽だろうし、その指導部が有能なら仕事も一瞬で終わって後は各自好きなように過ごせばいいんだろう。福徳・大野は無駄につるみ過ぎとも言えるのだ。つるむって別に悪い事してるわけじゃないが。
 そう、それにさっきはS大の指導部が歌子姫の練習に付き合っていたし、仲が悪いことは無いんだろう。……しかし歌子姫の同期は? さっき周りを取り囲んでいた人達の中に同期の子もいたのかもしれない。でも練習が終わったら皆行ってしまった。お疲れさまと声をかけることも無く。どうして……?
「どうしたの? えりこさん。曲かけるよ」
「あ、うん」
「えりこさん先頭どーぞ」
「えっ! 歌子姫お願い!」
えりこは慌ててリーダー(先頭の人)を辞退した。
「だってコーラーなんでしょ?」
「でも、私そんな上手くないから……歌子姫の方が」
「えりこさんもそんなこと言うの? 私達どっちが上っていうの無いじゃない」
歌子姫がひどく寂しそうな顔をするのでえりこははっとした。えりこさんも。そう彼女は言った。もしかして、歌子姫はいつもそういう風に、上手いからと言われて敬遠され、列の先頭をさせられているのだろうか。それはちょっと……確かに可哀相かもしれない。
 とはいええりこは本当にそんなに上手くもないし。リーダーは踊れる人がするもんで、パーティの場などで1、2年生が並み居る上級生を差し置いて先頭取るのはかなり思い切った行為と見做されてしまう。まあいいのだけれど。えりこはだいたい踊りも憶えているとは言えない。さっき小島さんが、一人で完璧に踊れなければ憶えたって言えないのよ、と言ったけれどその論理からするとえりこは「憶えていない」のだ。間違っても完璧には踊れない。福徳・大野の指導部はなんだかんだで甘いから、コール練もすぐOKを出してくれたけど、こんな踊り人に見せるのは恥ずかしい。いや……恥ずかしいから練習するんだし、恥ずかしくないくらい踊れるように必死に練習すればいいのだけど……。
「……私が先頭じゃ、歌子さんつまんないって思うかもしれないよ?」
「そんなことない。それにガンキノホロ#2は途中で先頭が逆になるじゃない」
「あ、そっか……」
そういえばそうだ。すごく基本的なことだけれどコール練は繋がらないで一人で踊っているから忘れていた。この踊りは先頭がずっとLOD(円心に顔を向けて右)方向に進んでいたのが、途中時計回りにぐるっとターンして後ろの人をひっぱりALOD(円心に顔を向けて左)方向へ走って行く。チェーン(何人かの列)に繋がった人の最後の人よりも左に来るところまで移動したら繋がっているベルトから手を放して、全員で円心を向く。そうしたら自然に、1,2,3,4と並んでいたのが4,3,2,1という並び方に変わっていて、その後今度はチェーンの最後だった人が先頭になって繋がって同じように踊り始めるのだ。まあその後踊りが一巡したらまた同じように先頭がぐるんとうしろにまわって来て元の並びに戻るのだけれど。
 まあいいか、下手だと思われたって。何もえりこが損すること無いし。
 歌子姫がMDの再生ボタンを押し、すっと右手をのばして来て、えりこの後ろについた。うーむ。歌子姫と二人でブルガリアか。変な感じ。曲が始まった。

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written by Nanori Hikitsu 2012
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